70年代から「苦難の歴史」は始まっていた
なぜ、これほど急速に崩れたのか。水戸市史によれば、1977年の時点で、すでにダイエーと西友は苦戦していたという。理由として挙げられているのが、どの店も似たような売り場構成で、同じような商品を扱っていたことだった。
この構図は、1993年のユニー閉店を報じた記事にも表れている。ユニー本社は敗因を「建物がもともと多層階で百貨店的な構造となっており、効率が悪かった」と説明し、地元の関係者は「スーパーになりきれず、かといってデパートにもなりきれなかった」と評した(日本経済新聞1993年8月25日付)。330台収容の駐車場を備えていたにもかかわらず、立体式で使いにくいと敬遠されたという指摘もある。
広域から人を集める力があったからこそ、大型店は集積した。しかし、似た業態が集まりすぎたことで、自ら競争を激しくしてしまった。『商業界』が指摘した「オーバーストア」は、20年以上の時を経て現実になったのである。
その結末を象徴する場所がある。伊勢甚の跡地だ。閉店後の再開発で建てられたビルには、2006年、国道50号を挟んだ向かいにあった京成百貨店が移転してきた。消えた店の跡地へ、最後に残った百貨店が移ったのである。かつて大型店が軒を連ねた通りは、多くの店が競い合う街から、一つの百貨店が残る街へと姿を変えた。
駅前でも主要テナントが撤退
大型店が姿を消した後も、駅前には商業施設が残っている。しかし、その中身は大きく変わっていた。駅ビルのエクセル、駅南口の水戸オーパ、そして駅北口の旧丸井のマイムビル。それぞれを歩くと、かつて大型店が担っていた役割が、少しずつ別のものへ置き換わっていることがわかる。
水戸オーパは2026年7月31日をもって「オーパ」としての営業を終了する。開業は2017年。わずか9年あまりで看板を下ろすことになった。入居する水戸サウスタワーでは、2015年にも前のキーテナントだったヤマダ電機が撤退している。同じビルで二度、核となる店が姿を消すことになる。
もっとも、ビル自体が閉鎖されるわけではない。2026年8月1日からは新たな運営会社が引き継ぎ、一部テナントは営業を続ける予定だ。それでも、駅直結という最高の立地でさえ、大型商業ブランドが定着しなかったという事実は残る。

