社会を変えるのは冷笑家ではない。情熱家である
次に、明確なビジョンと、青臭いと笑われるほどの熱いパッションがある。私が知る「突き抜けた人物」たちには、業種が違っても例外なく、「世界一の工場を作りたい」「中国競合に絶対に負けない」といった具体的で高い目標がある。冷笑家ではなく、真剣に大きな夢を語れる人物である。ビジョンとパッションがなければ、いくら優れたツールを見せられても、そこから何をなすべきかの発想は湧いてこない。
そして、その構想を実行に移せる発言権と権限がある。テクノロジーもビジョンもある人物が、部長級で稟議プロセスに縛られていれば、変革は起きない。経営トップ直結で動けるかどうか、あるいは自らが経営層に近い立場にあるかどうかが、決定的に重要になる。
複数のクライアント企業を支援してきた私の実感を率直に述べると、日本企業の最大の構造的問題は、テクノロジーに深く精通した人材が、意思決定の場から遠ざけられているか、あるいは外資系企業や新興企業に流出してしまっているという事実にある。こういう人物こそが真っ先に外資に行って活躍しているのだ。「テクノロジーに長け、明確なビジョンとパッションを持ち、経営に直接影響力を及ぼせる」――この3つが揃った人材の圧倒的な不足こそが、日本企業が米中に決定的に出遅れている構造的原因でもあると痛感している。
霧の中の登山家と同じことだ
ここが、実は最も重要な論点である。突き抜けた人物のビジョンとパッションは、単なる情熱の表明にとどまらず、必ず工場全体・企業全体を貫くグランドデザインとして結実していく。
なぜグランドデザインが必要か。フィジカルAIを突き詰めれば、それは「最適化の連続」に他ならない。実測との差分をセンシングで捉え、少しずつ制御を修正し、次に活かす。試行と修正を無数に繰り返し、少しずつ最適解に近づけていく。この基本構造は、実は昔からある「登山家が霧の中で頂上を目指すとき、目の前の一歩を踏み出して傾斜を確かめ、少しずつ高いほうへ進む」ような、地道な逐次改善の考え方と本質的に何も変わらない。
つまりフィジカルAIとは、PLC、画像認識、最適化数理、シミュレーション、センサー、AIといった既存の技術群を、生成AIの登場と計算能力の飛躍的な向上によって、新しい形で統合したものなのである。世間では革命的な新技術のように語られているが、コアな仕組みを解きほぐしていくと、驚くほど昔から連綿と続いてきた技術の延長線上にある。

