飛鳥時代から日本人に親しまれてきた短歌。最近では、SNS感覚で楽しめることからZ世代にまで人気が及ぶ。詩歌をつくることが脳に与える影響とその魅力を、気鋭の応用神経科学者が解明する。

脳科学的に見た「創造的な短歌」とは

「短歌ブーム」が近年続いているようです。俳句や短歌などをつくることは、脳にどのような影響を与えるのでしょうか。

まず、脳の観点から見た「創造」について説明させてください。創造とは、本人にとって新しく価値ある情報やアイデアを脳の中で生み出していくプロセスです。周囲から「新しくない」「平凡」と評価されたとしても、関係ありません。脳にとって大事なのは他人からの評価ではなく、本人が自分自身にとっての新しさを、どれだけ生み出し続けているかということです。

「創造的な作業をしているときは右脳が使われている」という俗説が今も根強くあります。しかし最新の研究では、それは誤りだということがわかってきました。創造しているときは、脳幹を含む脳のさまざまな部位が使われています。無意識のうちに働きやすく、記憶と深く関わる特徴もある「デフォルトモード・ネットワーク」、意識的に注意や思考を向ける際に活用される「セントラル・エグゼクティブ・ネットワーク」、その2つを橋渡しし、切り替える役割を担う「サリエンス・ネットワーク」。脳はこの3つのネットワークが頻繁に切り替わりながら働いています。創造性の高さについては、このネットワークの切り替えの回数の多さがひとつの指標になることがわかっています。

では、俳句や短歌、詩などの詩歌で扱う言語とは、脳にとってどのような存在なのでしょうか。実は、脳が処理する情報や記憶は、言語的なものより非言語的なもののほうがずっと多いのです。言語は、そのような運動や感情、行動といった体験を圧縮し、また解凍もできるコーデック(データを変換するソフトウエア)のような存在だと私は捉えています。

体験を言葉に圧縮する過程や、言葉から記憶を呼び覚ます解凍の過程では、情報が取りこぼされたり、揺らぎが生まれたりします。また、同じひとつの言葉であっても、そこから連想するものは人それぞれ異なります。私たちは、言葉の意味を誰もが同じように受け取っていると思い込みがちです。

しかし実際には、連想する内容は人によって異なります。言語はそれくらい、必ず何かを削ぎ落としてしまう仕組みなのです。だからこそ自由度が高く、脳の中で新しいものを生み出す可能性があるのではないかと思います。詩歌をつくる行為は、まさにこの言語の自由度の高さを生かして、脳の中に新しい世界を生み出し、それを外側に発する営みだといえます。

ここでも大切なのは、周囲からの評価ではありません。「この短歌は新しい!」と褒められたとしても、自分の中ではいつものパターンをなぞってつくっているだけなら、必ずしも創造的な脳の使い方とはいえないのです。

私自身、これまで俳句や短歌をつくったことはありませんでした。ですが今回詩歌について考えるうち、今自分がやろうとしている方向性のイメージが「あわいから/心を巡る/新時代」という五七五の句にまとまっていきました。意味としては、神経科学、AI、教育現場などの間に入り込む自分の立場から、心を解明することで新しい時代をつくりたい……と説明すると陳腐化しますが、簡潔に収まった気がしたので、先日発表した戦略資料の冒頭に載せてみました。それは私にとって創造的な行為だったと感じています。

一首できても完成させずあえて「寝かせる」

今の社会は、広告やSNSを通じて刺激の強い表現で人々の注目や関心を奪い合う世界になっています。そうした強い刺激ばかりを浴び続けると、脳はドーパミンをキャッチするリセプター(受容体)の数を減らしていくことがあり、ささやかなシグナルに反応しにくくなってしまいます。そこで、「太陽の光が気持ちいいな」「家族と過ごせて楽しかった」というような、日常の小さな喜びに気づけるかどうかが、脳にとって大切になってきます。

歌人の俵万智さんは、短歌は「日常生活の中の小さなときめきや、見落としがちな一瞬を伝えることに向いています」と述べていました(※1)。脳にとって大事な「日常のささやかな心地よさ」への感度は、俵万智さんの言葉と共通する部分があると思います。

(構成=増田忠英)