「検察に潰されたようなもの」
ロッキード事件で、83年10月12日に田中氏に言い渡された一審判決は、懲役4年、追徴金5億円の実刑判決だった。87年7月29日の控訴審判決でも東京高裁は一審判決を支持し、田中氏の控訴を棄却した。最高裁における上告審の審理中に田中氏が死去したため、公訴棄却となった。
だが、ロッキード社のコーチャン氏とクラッター氏に刑事免責を与えて実施された嘱託尋問について、1、2審が「適法」と認めた判断は、95年2月22日の最高裁判決でひっくり返された。被告側の反対尋問が実質的に封じられていたこともあり、最高裁は「違法」と断罪し、嘱託尋問調書の証拠能力を否定したのである。その一方で、田中氏が5億円の賄賂を受領したとの事実認定は覆ることはなかった。丸紅側の檜山氏や、田中氏の秘書だった榎本氏らの上告は棄却され、有罪が確定した。
小沢氏はインタビュー中、しみじみとこう呟いた。「そうか、もう50年になるのか」。だが、意を決したようにこう言葉を継いだ。
「親分、子分で同じように検察に潰されたようなものです。僕は陸山会事件で完全無罪を勝ち取ることができましたが、検察は僕がゼネコンの西松建設から違法な献金を受け取ったとして政治資金規正法違反で捜査しながら、裏金なんてまったく出てこなかった。すると、今度は『陸山会』の土地購入に絡んで政治資金収支報告書にケチをつけてきました。虚偽記載というわけですが、修正すれば済む話を、訴因の変更までして僕を罪に陥れようとしたのです。これは検察が『捜査方法が間違っていました』と白状しているようなものです」
99.9%が有罪になる国で、裁判所の使命は何か
小沢氏が続ける。
「日本の刑事裁判は検察官が起訴すれば、99.9%が有罪になります。これはあり得ないことで、だったら裁判所はいらないということになる。裁判官が検察官の言いなりになったら、もうおしまいです」
日本の刑事裁判の有罪率が異常に高い理由について、検察官が確実に有罪を立証できる事件だけをセレクトして起訴しているという見方がある。しかし、それでは検察官が実質的な判断権者として振る舞っていることにならないか。刑事裁判における判断権者は検察官ではないはずだ。
小沢氏はこう話す。
「米国の各州の地区検察官の多くは、選挙で選ばれます。裁判も陪審制度だから、事実認定の合議に裁判官は加わりません。いまこそ、冤罪の温床となっている日本の司法制度は変えなければなりません。僕はね、時間が取れるようになったら世界各国の検察・裁判制度を全部調べたいと思っています」
自らも“国策捜査”に翻弄された小沢氏にとって、ロッキード事件は歪んだこの国の司法制度と対決する原点になったはずだ。
被告人を有罪とするには、「合理的な疑いを超える証明」が検察官に求められている。難しい言い回しだが、検察側の証明によって、被告人が有罪であると判断することに疑いがほとんど残らない状態を指している。よく喩えられるのが、白いキャンバスに検察官が黒い墨を塗っていき、気になる余白がない状態になってはじめて裁判所は被告人を有罪にすることができるということだ。
はたして、贈賄側の“主犯”の証言を「証拠能力なし」と判断したロッキード事件の最高裁判決で、キャンバスはその状態を維持していたといえるのだろうか。冤罪事件が相次ぐ昨今、ロッキード事件50年の節目に改めて考えたい。


