ロッキード社幹部への嘱託尋問が決定打に

ロッキード事件が明るみになったのは76年2月4日、米国上院議会の多国籍企業小委員会(チャーチ委員会)が開いた特別公聴会だった。ロッキード社がトライスター機の売り込みのため、日本やフランス、オランダ、イタリアなどの各国政府関係者に巨額の賄賂をばら撒いたことが暴露されたのである。その2日後にはロッキード社のコーチャン副会長が、丸紅を通じて日本の政府高官に賄賂を渡したことを証言した。米国は友好国への配慮と、ロッキード社製軍用機(対潜哨戒機P3C)の日本への導入計画に悪影響が出ることを懸念し、賄賂を受け取った人物については公表しないという立場を取った。

一方、日本では三木武夫首相が疑惑の解明に積極的な姿勢を見せた。コーチャン証言を受けて、2月16日の衆議院予算委員会で三木首相は「全力で真相を究明する」との方針を表明。フォード大統領に対し、政府高官の氏名を含めた未公開資料の提供を求める。フォード大統領が三木首相からの要請に応じたため、日本の検察は米国から必要な情報を得ることができた。

みき・たけお●1974年12月9日、金脈問題で総辞職した田中角栄内閣の後を受け、67歳で首相就任。「信頼される清潔な政治」を掲げたが、ロッキード事件の真相解明をめぐり党内の「三木おろし」が激化、76年12月の総選挙で敗北し退陣した。
みき・たけお●1974年12月9日、金脈問題で総辞職した田中角栄内閣の後を受け、67歳で首相就任。「信頼される清潔な政治」を掲げたが、ロッキード事件の真相解明をめぐり党内の「三木おろし」が激化、76年12月の総選挙で敗北し退陣した。出典=首相官邸HP

小沢氏がこう話す。

「決定的だったのは、コーチャン氏や、ロッキードの東京支社長だったクラッター氏の嘱託尋問が認められたことです。しかも、刑事免責を与えたうえで証言させるという当時の日本の法律では認められていない手法がとられたのです」

「こんなバカな捜査があるか」

嘱託尋問とは、証人が外国にいる場合、日本の検察は直接尋問できないため、外国の裁判所に頼んで尋問をしてもらうことだ(司法共助)。ところが、コーチャン氏とクラッター氏は日本の法律で裁かれることを恐れて証言を拒否する。

このため、日本の検察トップである検事総長は超法規的措置として、2人の証言の内容に違法行為が含まれていても罪に問わないことを約束したのである(刑事免責制度は2018年に日本でも導入された)。

そのことを前提に、米連邦裁判所で日本の検察官が立ち合いのもと、米国の連邦検察官によってコーチャン氏とクラッター氏に対する尋問が行われた。

小沢一郎前衆院議員
撮影=西田香織

小沢氏の舌鋒は検察ばかりか、最高裁判所にも向けられた。

「こんなバカな捜査があるか。こんなことが許されるのなら、誰でも罪に陥れることができます。証言者にうしろめたいことがあっても罪に問わないと言われれば、検察のストーリー通りに証言してしまうでしょう。もっと悪いのは最高裁です。最高裁は(最高意思決定機関である)裁判官会議を開いて、検察が米国と交わした不起訴確約を事実上、保証してしまいました。この時、僕は日本の司法制度は死んだと思いました。明治時代に大審院長(現在の最高裁長官)だった児島惟謙いけん(※)は、政治の介入や圧力を跳ねのけて司法権の独立を守りましたが、それとは真逆です」

嘱託尋問でコーチャン氏らが贈賄工作について詳述したことが端緒となり、田中氏逮捕へとつながる。

※児島惟謙:1891(明治24)年、滋賀県大津市で、来日したロシア皇太子が護衛の巡査に切りつけられて負傷する「大津事件」が発生。ロシアとの関係悪化をおそれた政府は、日本の皇族に対する「大逆罪」を適用して死刑にするよう裁判所に圧力をかけた。これに対し、大審院長の児島惟謙は当時の刑法に従って巡査を無期懲役にさせ、司法権の独立を守った。