英国大使館裏やホテルオークラの駐車場で
検察のシナリオでは、72年8月23日、丸紅の檜山広社長らが首相に就任したばかりの田中氏を訪問した。檜山社長がロッキード社の旅客機を全日空が導入できるように運輸大臣などに働きかけてほしいと依頼し、その謝礼として5億円を支払うことを申し出た。田中氏は「丸紅がロッキードのエージェント(代理店)だったか。よしゃ、よしゃ、わかった」と快諾したというものだ。
72年10月に全日空がトライスターの導入を決定した後、ロッキード社から丸紅を通じて田中氏サイドへ現金5億円が渡されたことになっている。
不可解なのは5億円の受け渡し方法で、4回に分けて行っていることだ。ロッキード社東京事務所で段ボール箱に入った現金を受け取った丸紅の伊藤宏専務が、田中氏の秘書だった榎本敏夫氏に手渡したというものだ。
1回目は73年8月10日、英国大使館裏の路上で榎本秘書が伊藤専務から直接、段ボール箱を受け取った。2回目は同年10月12日、伊藤専務の自宅近くの公衆電話ボックス付近で、伊藤専務の運転手が榎本氏に渡した。3回目は74年1月21日、港区赤坂のホテルオークラの駐車場で伊藤専務の運転手が段ボール箱を持参し、榎本氏の車に積み替えられた。4回目は74年2月28日、伊藤専務宅を訪れた榎本氏に手渡された。
なぜ人目につく場所で現金を受け渡したのか?
小沢氏はこう否定する。
「榎本秘書を通じて親父に5億円が渡ったことにされているが、これほど頻繁に受け渡しをくり返していながら5億円の現金を見た者は誰もいないんです。段ボール箱を渡したというだけで、それが本当に金だったのかを検察は立証しきれていません。直接、現金を受け取ったという榎本秘書も見ていないし、贈賄側とされた丸紅の檜山社長も伊藤専務も見ていないと話しています。供述調書以外に確たる証拠は何もないのです」
路上での受け渡しを含めた4回の現金授受は、検察による無理筋のストーリーだったのか。作家の真山仁氏は著書できわめて率直な疑問を傾けている。〈最も人目を避けたい行為を、なぜ四回も繰り返すのだろうか。現金授受の場所は、他人の目につかない場所であるべきだ〉(『ロッキード』文藝春秋)。
榎本氏は当初、「私にはちょっと覚えがありません」と否認していたが、検察官から「田中、五億円の受領を認める」と報じた新聞の見出し(それは誤報だった)を意図的に見せられ、“自白”させられる。だが、公判では4回にわたる現金の授受は「絶対にない」と否認に転じた。


