コロナ禍でコンカフェが台頭できたワケ
だが歩行者天国が再会した直後、東日本大震災が発生。秋葉原には2000年代後半から、インバウンドがたくさん訪れていたが、一気に姿が消えたという。大きなバスに乗ってきて、家電や化粧品などを爆買いしていた中国人の団体もいなくなった。
それでも秋葉原は蘇る。メイドカフェの客数や、アニメグッズの売れ行きが急増したのだ。その理由として、震災のショックや不安を抱えた人々が、「心の癒やし」を求めたのだと梅本さんは分析する。
この予想外のニーズを受けて、秋葉原の免税店や家電屋も一斉にアニメグッズを取り扱い始め、にぎわいが戻ったのだった。
そしていよいよ、コンカフェが大量に出店するフェーズがやって来る。コンカフェはすでに2010年代には秋葉原にあったが、目に見えて増えたのはコロナ渦だと梅本さん。
「コロナのとき、ほかの繁華街の夜の店を経営する資本が一気に秋葉原に来た、という話が当時はあったんです。当時、お酒の提供は19時までという東京都からの要請があり、通常の酒場は経営が成り立たない。そこで、建前上は『カフェ』として深夜営業を行い、中身は酒場のように営業してお酒を提供しているのではないか、と言われていました。コンカフェが急増した背景には、当時の営業自粛要請の隙間を突いた動きがあったのではないかと見られていたわけです」
秋葉原が“歌舞伎町化”するのはなぜか
梅本さんの話を聞きながら、自分の浅薄さを恥じた。本稿を執筆する出発点は、「オタク・萌えの街」が「歌舞伎町のような街」になった背景を知りたい、という思いだった。
筆者の仮説はこうだった。再開発による地価高騰、インバウンド政策による観光客の増加などさまざまな要因があり、秋葉原の賃貸物件の家賃が上がった。またECの普及により、オンラインで買い物をする人が増えた。
すると、客単価が低いメイドカフェや、小売店の経営が厳しくなる。そこで、キャストドリンクやシャンパンで高単価が見込め、メイド文化も含まれる「コンセプトカフェ」が増えた、というものだ。
梅本さんにぶつけたところ、「確かにそれもある」との回答だったが、筆者の推論である「それ」は要因のごく一部。
梅本さんがこれまで説明してくださったように、秋葉原という地域や人々、ひいては日本全体の情勢、それは経済、政治、社会問題、事件、災害、トレンドや文化などあらゆるものの影響が重層的に絡み合い、そのたびに消費者のニーズが変化し、適応するために、街はまるで生き物のように変容してきたのだ。

