「誰も知らない野菜」に賭ける
カイワレの出荷が以前の4分の1に落ち込むなか、村上さんが目をつけたのは、O-157の7カ月前、先代社長の反対を押して開発、細々と生産をはじめていた「豆苗」だった。
豆苗は中華料理でよく使われる、エンドウ豆の若菜だ。日本で知名度はなかったが、加熱調理中心で食中毒とは無縁、ビタミン、ミネラル、たんぱく質が豊富である。そして、知名度がないからこそ、ライバルもいない野菜だった。
だが、社内の反応は冷ややかだった。
「みんな豆苗なんかやりたくないわけです。カイワレをずっとやってきたから」
村上さんは薄く笑う。
しかし選択肢はない。全国にあったカイワレ生産施設の空きスペースで豆苗を作り、市場では「知らない野菜だから」と冷やかな対応だったことから、量販店へ直接営業。社員総出で試食販売を行い、地道に売り込んでいった。
同時に村上さんが始めたのが、先代に反対された、「委託生産野菜」事業だ。
「売れるかどうかわからない野菜に設備投資する余裕はありませんでした。だから、よその農家に作ってもらい、村上農園のブランドとして販売する委託生産を始めたんです」
どん底で手に入れた2つの「強さ」
生産を依託したのは、当時はまだ珍しかったルッコラやハーブ類だ。
こちらも、ライバルの少ない市場である。
村上さんは、自らハンドルを握って野菜を配達しながら、その合間にハーブの本を読み、使用用途を研究した。そして、主に料理の飾りに使うものを「アクセントハーブシリーズ(5種)」、肉や魚の臭み消しになるものを「スパイスハーブシリーズ(5種)」と名付けて商品化。
計10種の各パッケージは、それぞれのハーブのイメージの色に統一した。
また、スーパーにハーブ専用の売り場がなかったため、アクリル製の什器を用意して量販店に持ち込むなど工夫を重ねた。
すると、ハーブの売れ行きはたちまち当時トップだった大手メーカーを抜いた。それでも先代は、「メーカーがやることではない」と反対し続けたが、村上さんは引かなかった。
「収益を上げてこの会社を存続させることが、最も大きな目的だったので」
リクルート時代に身につけた習慣「収益はどちらが多いのか」を指標に判断したのだ。しかも、生産をアウトソーシングしているから投資は少なく、仮に失敗しても損失は少ない。
この委託生産野菜の経験が、後に決定的な意味を持つ。
商品を次々に開発する中で、「どんな商品が当たり、何がダメなのか」がだんだん見えてきたのだ。しかも、パッケージデザインから価格設定、ネーミングまで、すべて自分で考え、試し、修正していた。そのなかで村上さんは「一気通貫する商品開発のトレーニング」を積んでいったのだ。
同時に、それまでになかった量販店との直ルートも飛躍的に拡大した。村上農園は、新商品を開発する力と、それを届けるチャネル、両方を手に入れたのだ。
そうして、わずか1年5カ月で村上農園は黒字化する。
1998年の売上高は15億4700万円。O-157事件以前の水準には戻っていないが、薄利多売のカイワレ専業時代より収益構造は明らかに強くなっていた。


