軍事拠点にしてはスキだらけ

吹き抜け構造は、軍事施設としては不向きである。たとえば、城内を東西や南北に移動するのに、回廊を廻っていかねばならない。居住空間としても適切ではない。

また、信長自らが見物料を徴収して、安土城を一般にも開放したという逸話が残っている。安土城が軍事施設であれば、敵の間者もいるだろうから、そんなことはしないだろう。

そう考えると、信長は安土城を宗教施設として作ったのではないかと思えてくる。フロイスの『日本史』に記述されているように、信長には自らを神として崇めさせるような言動があったからである。

長崎にあるルイス・フロイス像
長崎にあるルイス・フロイス像(写真=Pescaterian/CC-Zero/Wikimedia Commons

安土城で「神」になろうとしたが…

フロイス著『日本史』によれば、信長は安土城に併設した摠見寺そうけんじに巨大な石を祀る祭壇を設け、信長自身を崇拝すること、自分の誕生日を祭日として摠見寺に参詣することを命じた。

本能寺の変で信長はあっけなくこの世を去ると、フロイスはその死を「神を冒涜した者への天罰」と解釈し、バビロンの王ネブカドネザルの傲慢さにたとえ、ゼウスが信長を許さず、身を亡ぼしたと故国ポルトガルに報告した。そして、その名前だけで万人を戦慄せしめていた人間が、毛髪の一本も残さず灰になったと書き残した。摠見寺を併設した安土城が信長の死とともに灰燼かいじんに帰したのも、フロイスから見れば、神の思し召しといったところなのだろう。

安土城跡にある摠見寺の仁王門
安土城跡にある摠見寺の仁王門(写真=ELK/CC-BY-SA-3.0-migrated-with-disclaimers/Wikimedia Commons
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