※本稿は、徳久倫康『クイズの戦後史』(平凡社新書)の一部を再編集したものです。出典はウェブ用に最小限にとどめています。
戦後、ラジオから始まったクイズ番組
ラジオからテレビへというプラットフォームの移行と時を同じくして、クイズ番組は質的に転換しつつありました。具体的には、視聴者(ラジオでは聴取者)参加型の番組が急速に増えていったのです。
一般参加型のはじめてのクイズ番組は、1949年放送開始のラジオ「私は誰でしょう」でした。続いて人気を博した番組に「三つの歌」(NHK、1951年~1970年)があります。
「三つの歌」はよく、「NHKのど自慢」(1946年~、開始当初は「のど自慢素人音楽会」)にクイズ要素を掛け合わせた番組と紹介されます。
「のど自慢」はCIE(GHQの下部組織)による「マイクの開放」施策の象徴的な番組であり、その流れがクイズ番組に波及してきたものと位置づけられます。
舞台に上がった参加者はピアノの演奏による曲のイントロ部分を聞き、きちんと歌えれば「正解」となります。放送開始時点では、1曲正解で500円、2曲正解で1000円、3曲すべて正解で2000円が与えられました。
公開収録は全国各地で行われ、出演者も小学生から高齢者まで多岐に及びました。
クイズに正解すると16万円のスクーター
当時、レコードプレイヤーの普及率はまだ数%であり、多くの人々にとって音楽はラジオ経由で聞くものでした。現代のように簡単に好みの曲を聞いたり、音楽に親しんだりできる状況ではなかったことに注意が必要です。
そんななかで音楽にゲーム性をかけあわせた試みは大いに評判を呼び、聴取率73%(1952年8月のNHK全国聴取率調査による)と、人気ナンバーワン番組に躍り出ました。
ラジオ「三つの歌」と同じ1951年にはラジオ東京で、最高賞金1万円の「ミリオンクイズ」が始まります。賞金獲得者がいない場合はキャリーオーバーされる仕組みが取られたこともあり、放送局には千金を狙う参加希望のハガキが殺到しました。
1955年にはニッポン放送で「16万円の質問」が始まりました。これはアメリカのテレビ番組 “The $64,000 Question”の日本版にあたるもので、10問連続でクイズに正解すると、16万円相当のスクーターがもらえるという内容でした。

