テレビ各局が賞金額を上げていく
のち、好きなジャンルのクイズで賞金100万円を目指す番組「超逆境クイズバトル‼ 99人の壁」(フジテレビ)の放送が始まったのは2018年ですから、60年前の時点で近しいコンセプトの番組が放送されていたことには驚かされます。
なお、この特番については、読売新聞、朝日新聞、毎日新聞の各紙社会面で取り上げられており、当時一定のインパクトをもって受け止められたことがわかります。
これに刺激されてか、1959年にはTBSの「100万円Xクイズ」、1962年には同じく100万円の賞金を設定した「オリンピックショウ 地上最大のクイズ」(フジテレビ系列)が放送を始めるなど、賞金額はどんどんと跳ね上がっていきました。
日本初の「クイズ王」が獲った賞金額
1963年1月に始まった「私のクイズ」(日本テレビ系列)では、事実上賞金の上限が設定されておらず、チャンピオンが挑戦者を倒し続ければどこまでも賞金を積み増すことができました。
実際に獲得された賞金の最高額は233万6000円に達しました。賞金額が倍々ゲームで増えていった結果、挑戦中からチャンピオンペアに「賞金を預金してくれ」「あぶく銭なら俺に貸せ」といった誘いが届いたそうです。
個人情報保護法が制定されるのは40年後のことで、当時は新聞や書籍・雑誌で個人宅の住所が掲載されるのもごく一般的なことでした。テレビで高額賞金を獲得するのは、相応のリスクを伴ったことが想像されます。
1965年2月に放送を開始した「これがクイズだ」(日本テレビ系列)は、毎回50人の参加者が12問の三択クイズに挑戦し、全問正解者で30万円を山分けするというものでした。
賞金額としては地味ですが、全問正解者が通算50人になったところでチャンピオン大会が開催され、ここでは優勝賞金200万円が用意されました。
クイズ史研究家の湯本敏樹は、この企画を日本初の「クイズ王決定戦」ではないかと指摘しています。この時代のクイズ番組では、すでに複数の番組で賞金を獲得する常連参加者が現れはじめていました。
その中の一角、当時通算獲得200万円を超えていた田辺清一は、1965年4月の「週刊現代」の記事「日本一のクイズ王の秘密」で取り上げられており、初めてメディアで「クイズ王」と呼ばれた日本人と目されています。
前代未聞のとんでもない賞品
1969年にはフジテレビ系列で「3000万円クイズ」というとんでもないタイトルの番組が始まりました。
さすがにこれはそのまま賞金額を指しているわけではなく、平日の帯番組で、各回の賞金を1月分足すとおよそ3000万円になるということからタイトルをつけたものです。
かなりの誇張表現ですが、衆目を集めるためにはとにかく金額を大きくする必要があったことがよくわかります。
この流れに歯止めがかかるきっかけになったのが、1970年にフジテレビ系列で放送された「クイズ・キングにまかせろ!」です。この番組はフランスベッドの一社提供のもと、なんと人が住めるマンションを賞品にしてしまいました。

