クイズの賞金がどんどん高額になっていく

仕組みはのちの「クイズ$ミリオネア」をイメージしてもらうとわかりやすいかもしれません。全15ジャンルから1つを選び、正解すると1問目は300円を獲得。正解するごとに倍に増えていき、最終問題に正解するとスクーターを獲得することができました。

途中で間違えると賞金は没収ですが、問題を聞く前であれば、賞金を持ち帰る選択もできたそうです(「ミリオネア」でいう「ドロップアウト」ですね)。

輸入にあたってスケールダウンしている感は否めませんが(1ドル360円の固定相場の時代ですから、4万4000ドルは2304万円に相当します)、それでも当時のクイズ番組の相場からすると額は大きく、「日本初の高額賞金クイズ番組」に位置づけられます。

ちなみにこの番組、1956年に「17万円の質問」、1957年に「19万円の質問」とタイトルを変え、1960年に放送を終了しました。スポンサー変更などの事情もあったようですが、当時のインフレ感覚がよくわかります。

ほかにも、1956年放送開始の「20万円の扉」(TBS)、「21万円の質問」(北海道放送)など、とにかく少しでも高い高額賞金で注意を引こうとする番組が乱立しました。

見渡す限り数百万ドル
写真=iStock.com/SpiffyJ
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クイズで100万円を獲得した寿司職人

この流れは自然とテレビにも波及していきます。1956年に日本テレビ系列で始まった「物識り大学」は、「16万円の質問」に似た、参加者が特定のジャンルを指定し、5つのランクの問題をクリアすると賞金獲得となるという番組でした。

1回の賞金は10万円でしたが、「ミリオンクイズ」同様のキャリーオーバー制を取り入れた結果、最終的に賞金額は100万円まで膨れ上がりました。

100万円を賭けた「百万円チャレンジ大会」は1958年8月29日に生放送されました。結果を報じた読売新聞によると、番組開始以降に10万円獲得に成功した17人から4人が抽選で選ばれ、勝ち抜き戦が行われたとのことです。

優勝した寿司職人の男性は得意ジャンルとして「バレー」(クラシックバレエのようです)を選び、決勝では「“白鳥の湖”“眠れる森の美女”のふりつけ師として名高い人」に対して「マリウス・プチパ」と答えて100万円を獲得したとされています。

愛好家でないとなかなか答えられない難易度であり、この番組では一般的な幅広い雑学の力よりも、得意分野に関する高度な知識が試されていたことが見て取れます。