常識の逆をいく「価格戦略」
神田は「すごい哲学があって、日高屋に変えたわけではない」と謙遜するが、土壇場に追い込まれると不思議に力を発揮するタイプである。
ハイデイ日高は、神田が低価格ラーメンの「日高屋」を開発、投入したことで一時的に赤字にはなったが、客数が回復し息を吹き返した。中華そば「日高屋」のネーミングが大衆に受け入れられたのは確かである。
神田はこの機を逃さずに「日高屋」のブランドを広めるために、コーポレート・アイデンティティ(CI)を導入した。
ハイデイ日高の企業理念や事業内容、行動指針などについて、ロゴやメッセージを通して市場に認知させる企業戦略をとった。この際、神田は、これまでの店の看板の総取り換えに踏み切った。
会社が大きく成長する一つの転換点に
神田が命名した、中華そば「日高屋」(ハイデイ日高)は、2002年(平成14年)6月に1号店の「日高屋」新宿東口店が開店、大成功すると、2002年12月までの間に「ラーメン館」を一気に「日高屋」に業態転換し、「日高屋」として新たに店舗展開をした。
2002年(平成14年)12月には「日高屋」六本木店を開店、これによって総店舗数100店舗を達成した。
したがって2003年(平成15年)には「ラーメン館」は全て「日高屋」に切り替わり、廃止された。このように上場時の主力業態の「ラーメン館」が廃棄されて、新ブランド「日高屋」が主力業態にのし上がるというケースは、株式市場では前例がなかったのではないかといわれている。
「日高屋」の効果でハイデイ日高は2004年(平成16年)2月期の決算で売上高102億3400万円(対前年4.8%増)、営業利益10億2700万円(同64.8%増)とV字回復を果たした。
「あの時は本当に勝負だった。もう、自分の命がかかっていたからね。あの決算で、これで大丈夫だ、やっていけると確信した。会社が大きく成長する一つの転換点になった」(神田)

