※本稿は、谷本真由美『世界から見た日本の保守』(扶桑社新書)の一部を再編集したものです。
「保守=右翼」という勘違い
世間一般では、「保守=右翼=なんだか過激で怖いもの」というイメージを持つ人が少なくないかもしれません。
その他にも、
・天皇陛下支援・憲法第九条反対・軍国主義
・外国人と外国が嫌い・ゲイやレズビアンは嫌い・新しいものが嫌い
・女性が嫌い・女は家庭にいるべき・男が働くべき
・男は男らしく、女は女らしく・体罰をやるべき
といった非常に典型的な右翼的なイメージを連想する人が多いのではないでしょうか。
しかし、実はこうした右翼的なイメージは、本来の保守の意味とはかけ離れています。
これは戦後の日本で、マスコミの報道や映画やテレビドラマなどを通じて、「作られた保守のイメージ」といってもよいでしょう。昭和の頃には、市街地や高速道路でいわゆる「街宣右翼」と呼ばれる人たちの街宣車が走っていることがありましたが、あのイメージが保守と結びついている人が非常に多いのです。
しかし、私のように政治学や国際政治学を学んできた人間にとって、そのようなイメージと保守を結びつけられてしまうことは、非常に歯がゆく思います。そもそもこの「保守」という言葉自体が、実は日本発祥ではなくヨーロッパの歴史に強く紐づいたものだからです。
「慣習」や「伝統」を重視するワケ
保守主義(conservatism)は、「人間の考えたことには限界がある」という考えに根ざした哲学(思考)のことです。
人間というのは完全なものではありません。世界には完全なものなどないのです。これは欧州がキリスト教国であることと関係があります。完全な存在とは「神」=「ゴッド」のみであり、人間はあくまで不完全なのです。
人間はこれまで王政や民主主義、科学など色々なことを考えついてきました。しかし、それはあくまで人間が設計したもの、考えたものにすぎません。人間は必ず間違いを犯します。そして、最適ではないこともします。
ですから、人間が考える「理想的な社会」があったとしても、一方で、人間本来の性質や生き方に根ざし、長い時間をかけて積み上げられてきた「慣習」や「伝統」の方が、知恵と時間を蓄積している分、優れているだろうという考え方になるのです。

