その後の「朽木越え」から推測

以上はあくまで筆者の「推測」である。「金ヶ崎の退き口」の際、信長が国吉城に立ち寄ったという確固たる一次資料は残っていない。ただし、これだけの堅城で、城主の粟屋勝久は朝倉軍へ長年抵抗を続けた男。頼らない手はなかったのではないか。

織田信長公銅像(清洲公園)
織田信長公銅像(清洲公園)(写真=Bariston/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

窮地を脱した信長は、近江でも琵琶湖岸は通らず(通れず?)、西のはずれの朽木谷を抜けて京へと無事逃げ帰っている。若狭から朽木谷を抜けて京へと至る道は、いわゆる鯖街道さばかいどう。この「朽木越え」ルートから推測してみても、若狭における信長軍の強力な味方だった粟屋勝久を頼ったとしか思えない。

「金ヶ崎の退き口」から3年後の1573(天正元)年8月、越前・一乗谷に信長軍が一気呵成いっきかせいに攻め込み、朝倉家は滅亡。そこには粟屋勝久もおり、見事に幽閉されていた主君・武田元明を救い出すこととなったのだった。

本丸の国吉城址碑
撮影=今泉慎一(風来堂)
本丸の国吉城址碑
【関連記事】
石田三成と戦っていないのに関ヶ原合戦後に大出世…徳川家康が厚い信頼を置いた「戦国最大の悪人」
「10個のリンゴを3人で公平に分けるには?」有名な思考クイズをひろゆきが解いたら…答えが斬新すぎた
「三菱商事"採用大学"ランキング」を見れば一目瞭然…学歴社会・日本で成功に必要な「出身大学の最低ライン」【2024上半期BEST5】
「性犯罪者は全員死刑でいい」そう言って母は息子の性器に手を伸ばした…表に出ない「息子を襲う母」のリアル
11体のラブドールと暮らし"正しい性行為"を楽しむ…「人より人形を愛する男たち」が奇妙な生活を始めたワケ