年齢とともに、むきあう世界や価値観が変化
山崎さんは40代前半で一度グリーンランドを離れ、活動の場所を極北カナダにうつしていた。
その間、ベースの村であるレゾリュートベイからメルヴィル島という人跡未踏に近い地の果てのような島にむかって何度も犬橇探検をくりかえし、観測拠点建設の可能性を探っていた。「これから面白いことがはじまるから、そのときは角ちゃん、よろしく頼むよ」と、いかにも嬉しそうに語る彼の姿をいまも思い出す。
人は誰しも年齢とともに、むきあう世界や価値観が変化する。生きることは成長することであり自己が変容してゆくことだ。ニーチェの権力意志ではないが、成長とは見果てぬ完成をめざして、ときとともに変わりゆく流れにのることであり、成長それ自体が生きる意味なのではないかと最近は思うようになった。
そこに完成はない。ただ変容してゆく自己があるだけだ。だから20代や30代の頃に最高だと思っていた活動が、50代になっても最高であるわけではない。
50代が楽しみだという山崎さんの言葉は、若い頃には考えられなかった新しい目標が、そしてそれまでの経験がなければ決して見えなかった最後の夢がかたちになりはじめた高揚だったのだと思う。
それは山崎さんの30年におよぶ極地活動があってはじめてこの地球上に存在化した夢であり、彼自身にとっても、若かった頃には想像もできなかった未知の扉である。力という生命原理が30年かけて自己成長をつづけたものが、彼の場合は極地観測所だった。
そんなものが見えてきたら楽しみにもなるだろう。その山崎さんの50代前の気持ちの高鳴りがわかる年齢に、自分もなったのである。
30歳を迎える前は人生の岐路
この年齢論をしめくくるにあたり、これから50代に足を踏み入れる現段階での心境を記して終わろうと思う。50代にさしかかろうとする私は現在どのような年齢状況にあるのか。
50代の自分を想像したとき、いまの私には楽しそうなイメージばかりがわいてくる。不安はほとんどない。山崎さんもいっていたように楽しみが90で、不安をふくめたその他が10ぐらいである。
30代になるときはどうだったか。
あのときは新聞記者の職についており、人生の岐路にたっていた。記者は好きなことを取材して執筆できるので、会社員の仕事としてはそれなりに満足度が高かったが、生き方の選択肢としてベストかといえば、そうではない。私のベストは探検家として生きることで、そのためには会社をやめなくてはならない。
100点ではないが会社にとどまり70点の人生を選ぶか、一か八かで退職して、常識的にかんがえたら沈没確実な探検家という泥船で海に漕ぎだし、100点をめざすか。つまり安泰をとるかリスクをおかすか、その選択を迫られていた。
人生をどう作り上げるかという難問の前に楽しみだなぁという感覚は皆無である。実際に退職したのは32歳だったが、ともかくあの頃は、オレは将来どうするんだという悩みと葛藤が頭の大部分をしめていた。

