「50代が楽しみだ」

不慮の事故で亡くなった山崎さんだが、「いや、いまから50代に何ができるのかとても楽しみですよ」と語っていたことが、つよく印象にのこっている。

あれはたしか共通の知人と3人でどこかの居酒屋で会合したときの会話で、山崎さんが48歳か49歳の頃だったと思う。

その言葉が印象にのこっているのは、当時の私にはそれが意味不明なセリフだったからである。

山崎さんと私の年齢は8歳ほどの開きがあるので、当時の私は40過ぎの頃だった。人生の膨張期の最終段階にあった私は向かうところ敵なしの心境で、やればなんでもできるという気持ちで極地に旅立っていた時代である。

当時は40代という年齢も下り坂に思えたが、50代となると、もう老人一直線というイメージしかわかず、50代が楽しみだという山崎さんの言葉がまったく理解できなかったのである。

でもそれから10年近くがたち、私自身、当時の山崎さんとおなじぐらいの年齢になってみると、彼が言っていた言葉の意味がしみじみとよくわかるのだ。

山崎さんはたぶん50代という年齢にさらなる飛躍の可能性を見出していたのではないか。

山崎さんは、村人のたまり場と化していたシオラパルクの彼の借家で、しばしば過去と未来を私に語った。

彼が探検の世界に足を踏み出したのは植村直己の生き方に感化されたからだ。アマゾン川を筏で下り、その後シオラパルクに通いはじめ、20代は植村直己の背中を追うようにむき出しの冒険に挑戦した。

1996年3月に単独で北極点徒歩到達をめざすが敗退、またもうひとつの目標だったグリーンランド縦断はデンマーク政府の許可を得られなかったという。

日本独自の観測基地をグリーンランドに設置

その間、シオラパルクの人々の生活を見るうちにエスキモー文化を継承したいという思いがふくらみ、30代を境に徒歩による旅行から植村直己とおなじ犬橇旅行の世界に足を踏み入れた。

また、極地で活動する研究者たちとの交流をつうじて、興味の方向性は純然たる冒険から、極地の環境調査活動へとシフトしていった。

村から氷河がみえる景色
写真=iStock.com/Mikael Svensson
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30代後半で南極観測隊に参加したことをきっかけに民間レベルの北極観測隊の組織という構想が生まれ、犬橇で気象観測データを収集するという山崎さん独自の探検活動ができあがってゆく。

46歳で拠点をシオラパルクにもどしてからは、犬の訓練と村周辺でのデータ収集を続ける日々となり、犬橇で長期の旅に出ることは少なくなった。

冬の数カ月間は村で毎日のように顔をあわせていたのでいつも彼の話に耳を傾けていたが、年とともに純然たる冒険行動には関心が薄くなったようで、「ずっとやっていると、冒険のための冒険をつづけることができなくなるんだよ。自分にとっての目的が何か必要で、それが俺にとっては観測なんだよね。もう旅とか冒険は角ちゃんにまかせたから」と笑っていた。

20代や30代の頃のようなエネルギッシュな活動は影をひそめたが、環境調査と犬橇のハイブリッドという独自の活動から、おそらく50代になる頃、山崎さんには昔のような純粋な冒険とはことなる大きな夢が見えはじめていたのだと思う。

それは現地の人との交流の拠点となるような日本独自の観測基地をグリーンランドに設けるという夢であった。