長寿社会の老後破綻を防ぐために、何が必要か。家族社会学者の山田昌弘さんは「高齢者が自立して100歳を全うできる社会基盤をつくること。それに、尽きる」という――。

※本稿は、山田昌弘『単身リスク 「100年人生」をどう生きるか』(朝日新書)の一部を再編集したものです。

弱者ケアを家族に依存した社会の罪

本稿では、「単身リスク」に備える提言をお伝えしたい。ポイントは「高齢者が自立して100歳を全うできる社会基盤をつくること」、これに尽きる。

本書では、経済的に自立できない若者たちが就職氷河期に多数生まれ、多くのニートやパラサイト・シングル、さらには中高年化する引きこもりを生み出してしまったことを詳述してきた。

それとまったく同じ構造が高齢者にも当てはまる。もちろん高齢者だからもはや「ニート」や「パラサイト・シングル」「引きこもり」といった用語は当てはまらない。だが日々の収入を得るのがむずかしく、生活の基本部分を家族に頼らなくてはならない状況は似ている。

これは高齢者が悪いわけでも、家族が悪いわけでもない。ただひたすら経済的・身体的に弱ってしまっている人のケアを、「家族」に依存し続けてきた社会の側に責任がある。

だからこそ私が主張したいのは、「脱家族」のススメである。成人した人が、子どもや配偶者や親に頼り切らなくても生きていける仕組みを国が整えること。これを目指したい。

シニア・介護スタッフ
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老後のベーシックインカムで脱家族

そのためには「高齢者向けのベーシックインカム」も一つの案ではないだろうか。国民年金だけでは自立できない高齢者が生活保護になだれ込めば、早晩、生活保護制度は成り立たなくなる。政府としては今後、受給額を減らしたり、受けられる医療の制限を設けたりしなくてはならないだろう。

実際にアメリカでは、金持ちとそうでない人の間で受けられる医療に大きな差が出ている。日本がそうならないよう、どんな経済状態の人でも最低限の生活を送れるだけのベーシックインカム制度を整え、プラスアルファとして高齢者も働き続けられる環境をつくることが望ましい。

「脱家族」などと言うと、「家族がバラバラになる」「家族なのに冷たいじゃないか」という声が必ずどこからか飛んでくる。だが本当にそうだろうか。

家族とは本来、愛情によってつながるものであるはずだ。好きだから結婚し、家庭を築き、愛情があるから家族を継続させる。しかし今、その「愛情」が人質に取られている。