稀有な政治家だった石破茂
石破総理大臣が辞任した。党内の総裁選前倒しの大勢に抗しえなかった。
石破氏とは1992年に彼が農水省の政務次官になったとき以来の付き合いだ。あれから30年以上が経った。私が2000年度に同省の地域振興課長として“中山間地域等直接支払制度”を導入した際には、自民党農林族議員によってバラマキの政策にされないよう、彼の力を得るべく何度も議員会館の事務所に足を運んだ。
その後、私は2000年11月に『WTOと農政改革』という本を出版し、コメについては減反を廃止して米価を下げるとともに、主業農家に直接支払いをすることで、零細農家から農地を主業農家に集積することで農業の構造改革を進めるという提案をした(「小泉進次郎氏が“JA・自民党農林族”に屈服した…増産を打ち出した石破政権『コメ政策の大転換』のウソ」参照)。その後2003年から06年まで経済産業研究所(RIETI)に出向し、それをさらに理論的に精緻にした論文や書籍を刊行・出版した。私の提案は、コメの構造改革だけではなく、農地や農協の改革にも及んだ。
たびたび石破氏の議員会館の事務所を訪れ、農政だけでなくTPPなどの通商政策も議論した。秘書の人たちとは顔なじみとなった。その一人は、事務所を出る際「うちの先生が農水大臣となったら山下さんは局長ですね」と私に声をかけた。
残念ながら、私は彼が農水大臣になる前の2008年4月、局長を前にして役所を辞めた。その際、防衛大臣だった石破氏に「あなたがなかなか農水大臣になってくれないから辞めることとなった」と言ったら、かれは「あなたの書いているものはほとんど読んでいる。それを地元に帰って話すんだ。だけど某農業団体からここから出て行けと言われてしまう。大臣になって実行するのは難しい」と言う。そこで、「もう農水大臣なんてケチなことは考えずに総理・総裁を目指したらどうか。あなたの指示のもとで、しかるべき人を農水大臣にして改革させればよい」と勧めた。その半年後、彼は初めて自民党総裁選挙に立候補した。
私が出版した24冊の単著のうち、石破氏は農政関係の20冊程度の本を読んでいるはずだ。講演資料を渡したら、長い講演議事録を渡すようせがまれたこともある。政治家は選挙に落ちると失業する。自民党農林部会に出てくる政治家のほとんどは、次の選挙でどれだけ農業票が獲得できるかしか考えていない。農業票はJA農協によって組織されるので、地方出身の議員はJA農協の意向に逆らえない。そのなかで石破氏は珍しく農業の構造改革に理解を示す議員だった。

