時間を浪費しているモノをまずは隠してみる

残業が続いていた頃、私は時間に追われていました。帰宅は遅く、朝は早い。部屋は荒れ、脱ぎっぱなし、出しっぱなしの状態でした。「片付けなきゃ」と思いながらも、疲れて手をつけられない。掃除や片付けに使う時間を確保できないまま、不快感だけが積み重なっていく。私にとって当時の部屋は、時間を回復させる場所ではなく、消耗を思い知らされる空間でした。

私はもともとインテリアが好きで、かわいい雑貨たちに囲まれたおしゃれな暮らしに憧れていましたが、空間を整えるための時間も気力も足りていませんでした。家具や雑貨を購入してモノは増えても、片付ける余裕はない。そのズレが、毎日の生活をさらに窮屈にしていました。

そんなときにパートナーと出会いました。彼の部屋には家具がデスクと椅子しかありませんでしたが、殺風景でありながら、どこにも不快感がないのが印象的でした。

特に印象に残ったのが、キッチンや浴室の排水口です。蓋が外され、ゴミ受けが見えているのに、汚くない。「掃除が苦手だから、見えるようにしている」と彼は言いました。隠さないことで後回しにしないという発想に触れたとき、私はモノの持ち方が時間の使われ方を左右しているのだと実感しました。そこから、私の暮らしの見直しが始まりました。

最初に向き合ったのが、テレビです。家にいると、特別に観たい番組があるわけでもないのに、気がつくとスイッチを入れている。仕事で疲れて帰宅し、ソファに座って画面を眺めていると、それだけで時間が過ぎていく。気づけば夜も深くなり「結局、何もしなかった」という後悔だけが残ります。テレビは癒やしでもある一方で、私の時間を無自覚に奪っていく存在でした。

それでも、手放す決断は簡単ではありませんでした。サイズが大きく、簡単にしまい込めるものではありません。けれど、リビングに置いてあるため、視界に入れば自然と使ってしまう。あれば使うし、なくしたら困るかもしれないと思うと、処分する勇気が出なかったのです。

そこで、使い方を変えてみることにしました。画面に布をかけ、プラグを抜く。観たいときには布を外し、プラグを挿すという手間を設けたのです。するとなんとなくテレビをつけることがなくなり、視聴時間は大幅に減りました。数カ月が経って「なくても生活には困らない」という確信が持てて初めて、テレビを捨てる決断ができました。

ソファもまた、私の時間の使い方に大きく影響していました。仕事から帰るとそのまま倒れ込むように身を沈め、気がつけば動けなくなっている。少し休むつもりがそのまま夜は更け、朝を迎えてしまったこともあります。体を休めているはずなのに、起きたときには疲れが残り「またやってしまった」という自己嫌悪がつきまとう。いま思えば、ソファで過ごした時間は、回復ではなく、失っていく感覚に近いものでした。

考えてみればテレビとソファはセットで、私の生活の中に「何もしない時間」を固定していたように思います。そこに座れば、考えなくても時間が過ぎていく。それは気持ちを回復させる時間ではなく、後悔を連れてくるものでした。私は、テレビとソファという2つの存在が「自分が自分を好きになれない原因になっている」と感じるようになったのです。

ソファとテレビを手放すと、部屋にはデスクと椅子だけが残りました。極端に見えるかもしれませんが、その空間に立ったとき、とても落ち着いたのを覚えています。座って何かをするか、きちんと休むか。行動がはっきりとし、時間をどう使うかに迷いがなくなりました。