日本人の労働観は1980年代を境に変化した

私は、自分が元気に充実して働いていられて、誰かに休みを譲れるのであれば、譲ってあげてもいい、と思います。きれいごとだと言われるかもしれませんが、零細企業の社長しかやったことがなく、有給などとは無縁の、休みなしの生活を続けてきたのですから、これくらいは言わせていただいてもいいでしょう。

「有給休暇とは、働くことをより楽しく感じることができるようにリフレッシュするためにある」のであって、有給取得のために働いているわけではないからです。なのに、労働と休暇における本末の逆転現象が、このところ顕著になっているように感じます。

あなたが指摘した「労働者の権利はすべて使い切る」という発想は、日本人全体の労働観が1980年代頃を境にして少しずつ変化した結果なのです。80年代を境にして、日本人全体が、自己意識を、生産者から消費者へと軸足を移した。意識のうえで、多くの労働者が、自分を生産者ではなく消費者として規定するようになったということです。

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労働は「消費のための手段」となった

それ以前の日本人は生産者でした。多くの人々が第一次産業、第二次産業の生産業に従事していましたから、消費というのは、自分が生産し、生産した幾分かを消費で買い戻すという、ささやかな楽しみだったのです。

それが、あるところから「消費をするために働く」ようになった。つまり、働くことが、消費をするための作業になったのです。それ以前は、働くこと自体が目的でした。なぜなら、それ以外の働き方をしようにも、できなかったからです。月曜日から土曜日まで働きづめに働いて、日曜日は疲れ切った身体を休める。生きるとは、働くことだったわけです。

「労働が消費のための手段となった」現象を、社会学では「消費化」と定義していますが、これ自体は悪いことではありません。なぜなら、人々がつらい労働から解放されるプロセスとも言えるからです。しかし、よい面が生まれれば必ず悪い面も出てくるものです。

働くことが手段化したことにより、働く“喜び”がなくなってしまいました。また、仕事の工夫もしなくなり、何よりも、労働に対する倫理観がなくなりました。なるべく努力をしないで、最大の果実を得る(=存分に消費する)ことが人々の目的となったのです。

もちろんこれは、極端な言い方をしています。しかし概ね、このような変化が起きてきたということは、言ってよいと思います。