「消費化」によって起きた本末転倒

そして、この消費化がどんどん徹底されていくと、さまざまなシーンで本末が転倒していくことになります。たとえば、健康を追い求めて、禁酒・禁煙、玄米食で毎日ランニングを欠かさなかった人がけっこう早死にしたりするのは、人生の目的が「楽しく生きること」よりも、「苦労して健康を獲得すること」になってしまい、本来必要な、栄養や快楽を制限してしまったことによるのかもしれません。

いわゆる「健康という病」ですね。健康は目的ではありません。「健康な体を持っていれば、楽しく生きていける」というのが本分ですね。「楽しく生きていく」ことが目的なのに、いつのまにか健康が目的になってしまっている。このように、良きことであっても、それに執着してしまえば、本末が容易に転倒してしまいます。原理主義とは、そこに陥った状態です。

「与えられた権利はめいっぱい使わなくてはならない」という考えにも、“消費者原理主義”の兆候がうかがえます。仕事と人生を楽しむために有給を取得するはずが、消費者マインドが徹底してしまうと、有給を“消費する”ことに気持ちがいき過ぎ、そのために努力するという事態に陥るわけです。

学生はお客さんで、教育内容はソフト商品

私は大学で教えていましたが、学期の始まる前に、大学側からシラバスを書くように指示されます。シラバスとは、一回ごとの授業の内容を書き記したもので、大学側はその後、学生に対してシラバス通りに授業がなされたかどうかを確認します。私は、この傾向は、教育の本義とかけ離れたものだと思っています。

大学の講義室
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「教育の本義とは何か」という問いにお答えするのは大変に難しく、今回のテーマから外れてしまうのでここでは詳しく説明しませんが、教育の本義が「何でないか」ということは明言できます。

教育の本義は、サービスではありません。ビジネスにおける商品交換ではないということです。

しかるに、今日の大学は、教育をサービスの一環として考えているふしがあります。

学生はお客さんで、教育内容はソフト商品です。ですから、シラバスは、商品のスペック(仕様書)というわけです。