「ストロー発祥の地」になった岡山・浅口

シバセ工業創業地の岡山県浅口市周辺は瀬戸内海の温暖な気候に恵まれ、古くから麦の産地として知られていた。そうめんなどに欠かせない小麦に加え、麦稈真田も地場産業として根付き、パリ万国博覧会へ出展されて脚光を浴びたこともある。

20世紀に入ると寄島町よりしまちょう(現・浅口)の実業家が麦の茎を飲料用ストローとして使うビジネスを思い付き、ストロー生産に乗り出した。浅口周辺で育つ麦は茎が太くて強度に優れていたことから、ストローにぴったりだった。これも立派なイノベーションだ。浅口が「ストロー発祥の地」と呼ばれるゆえんだ。

そんな背景があるため、戦後になって材料がプラスチックへ全面的に切り替わっても浅口はストローの一大産地であり続けた。現在残っている国産ストローメーカーは少なくなったが、そのうち4社ほどが浅口を本拠地にしている。

還暦を迎えた3代目社長は起業家精神にあふれる

シバセ工業は1949年にそうめん加工・販売会社としてスタート。ただ、そうめん業は激しい競争にさらされた。初代社長は1969年に経営を退いて2代目にバトンタッチするとき、「もうそうめんの時代ではない」と言い残したという。

2代目も同じ意見を持っていたようだ。社長に就任するや否や、そうめんからストローへ大きく舵を切ったのだ。浅口が明治時代から強みにしているビジネス、つまりストローに集中すれば差別化できるのではないか、との判断からだ。

2代目がそうめんからストローへ大転換したように、3代目の現社長は飲料用ストローから工業用・医療用ストローへ大転換しようとしている。決め手はイノベーションであり、マーケティングである。

撮影=プレジデントオンライン編集部
紙ストローが増える中、プラスチックストローの生産にこだわる磯田社長

日本企業の99%以上を占めるのが中小企業だ。古い業界に属して経営者が高齢化し、倒産や廃業を強いられるケースは多い。大都会のオフィスで若者が立ち上げたスタートアップとは対極の世界にあるように見える。

だが、シバセ工業は地方の町工場でイノベーションを起こし、脱プラ運動という巨大なうねりに対抗している。3代目社長は数年前に還暦を迎えても起業家精神を失っていない。(文中敬称略)

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