現代にも通じる渋沢栄一の『論語と算盤』

【田中】私も渋沢栄一の本をいろいろ読みましたが、全部読んで解釈すると「投資はいけない」という家訓ではないですよね。

【渋沢】おそらく『青天を衝け』にも出ていた渋沢喜作を含め、息子や親戚などが投機に手を出し失敗して、栄一が穴埋めしなければいけないものが山ほどあったのだと思います。「下手だから手を出すな」という思いがあったのではないかと(笑)。

なぜそう思うのかというと、渋沢栄一がリスペクトしていた、田中平八(※1)は投機で財をなした人で、渋沢といっしょに東京証券取引所を立ち上げています。ただ、彼も最後は投機に失敗しているのですが。

(※1)生糸で財をなし、「天下の糸平」として知られる幕末、明治期の実業家。

それまで私は渋沢栄一のことを昔の人だと思っていました。私の日本での最終学歴は小学校2年生ですから、父に日本語を翻訳してもらいながら渋沢の残した言葉を読み返しました。

【田中】当時は、あまり翻訳書なども出ていなかった頃ですよね。

【渋沢】はい。でも彼の言葉を噛み砕いて今の言葉で表現すると、十分使えることに気づいたのです。そして、その言葉に、「日本はもっと良い社会、もっと良い会社、もっと良い経営者、もっと良い一般市民になれるだろう」という怒りを感じました。

【田中】これではいけないという意識がものすごく強いですよね。

「一人ひとりが自覚を持って社会の当事者になるべき」

【渋沢】現状維持に満足していない、未来志向がそこにあったと思います。100年前、150年前の未来志向ですが、そのエッセンスを今の時代の言葉で表現するとそのまま使えることに気づきました。そして『論語と算盤』の中には「大正維新の覚悟」という言葉があります。明治維新があったように大正時代にも維新が必要だということです。

【田中】明治維新は不十分だったということですよね。

【渋沢】最近の若者は元気がない、リスクを取らない、守りに入っているとか、そういった内容の記載がありますが、最後に気になったのは、渋沢は「この状態でこのまま進めば、将来悔やむことが起こるかもしれない」と言っていることです。

渋沢栄一が亡くなったのは昭和6年、1931年の11月11日ですが、その2カ月前に満州事変が起こっています。大正維新がなかったから、昭和初期に国民全員が悔やむような状態に入ってしまった。ということは渋沢栄一の話は、一人ひとりが自覚を持って社会の当事者になるべきという話ですよね。

すべて政府や会社にお任せするのではなく、自分が社会の当事者でいなければ将来悔やむことが起こるかもしれない、ということを2001年に読み、非常に影響を受けました。その後失われた10年が続き、これから日本はまたヤバい方向に行くのではないかと思うところがあったので、昔の『論語と算盤』を小学生でもわかるような言葉で解釈して、ブログにポストしていこうと始めたのが2001年、2002年頃ですね。

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