【田中】渋沢栄一でいうところの、「お代官様」の時のようなスイッチですか?
【渋沢】渋沢栄一ほど大きくないかもしれないのですが、アメリカ出張時に911に遭遇しました。私は西海岸のシアトルで1週間ほど足止めされていたのですが、それこそ『青天を衝け』のような真っ青な空が広がっているのにも関わらず、飛行機が1機も飛んでないのです。それを見てヤバいなと思いました。
私はそれまで端末を叩いたり電話で話したりするだけで何十億、何百億を動かすのが当たり前の環境で仕事をしていました。でも飛行機が1機も飛ばないとなると、人とモノが動かない。当時、私は会社を立ち上げたばかりで、長男が生まれ、次男が妻のお腹に宿っていました。
そのタイミングで911が起き、改めてどうやってこれから家族を養っていけばいいのだろうかと考えたのです。サステナビリティ、持続可能性は常にあるものと思っていましたが、それが失われた瞬間にこれはまずいぞと思いました。その同じタイミングで渋沢栄一とも出会いました。
もちろん私の祖父の祖父であったことは小学生の頃から認識していましたが、私は海外で育ち、外資系での勤務も長かったので、渋沢栄一ワールドから遠いところで生きていました。
渋沢家の「株と政治はするな」という家訓
けれども父の弟、私の叔父から渋沢家の家訓には「株と政治はやっちゃいかん」と書いてあると聞かされました。私はずっと金融の仕事をしていたので、2001年に独立したことをきっかけに調べてみたところ、家訓には「投機ノ業又ハ道徳上賤ムヘキ務ニ従事スヘカラス」と書いてあることがわかったのです。
【田中】投資ではなく投機が駄目だったんですね。
【渋沢】道徳上卑しいことはしていませんが、私はトレーディングの仕事をしていたので、どう解釈しても投機の業に当たります。40歳になって初めて自分が渋沢家の家訓に違反していたという不都合な事実を目の当たりにしたのが、ちょうど2001年です。田中さんだったら、自分自身が家訓に違反していたと直面したときどうされますか。
【田中】渋沢さんの場合はスペキュレーションをやっていたから投機も含んでいるかもしれないですが、私がやってきた金融は投資、インベストメントバンキングだったので「投資」と「投機」は違うという理由をつけていたかもしれないです。実際はどう、自分の中で解釈されたのですか?
【渋沢】私はそのとき、この1行は自分にとって不都合な事実で変えられないけれど、自分にとって都合が良い事実もたくさんあるはずだと、そのほかの言葉も一生懸命調べ始めたのです。そうして、渋沢栄一がたくさんの言葉を残していることに気づきました。