多くの人が「表3回、裏3回」であるべきだと考えている

【岩澤】今の事例で、コインを6回投げたときの結果として、多くの人が「表3回、裏3回」であるべきだと考えているということがわかりました。ヒトはある事象を見るときに、その事象の「あるべき姿」のようなものをパッと思い浮かべるようです。その「あるべき姿」というのは、「表3回、裏3回」のように、確率的な根拠がまるでないわけではない。しかし問題は人が、そのパッと思い浮かべた「あるべき姿」を基に、確率的事象について誤った判断をしてしまいがちだということです。「7回目こそは裏がくる」、あるいは、「7回目も表に違いない」、というようにです(※14)

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カーネマンとトゥベルスキーはこうした現象を「代表性バイアス」と名づけました(※15)。代表性バイアスとは、パッと思い浮かぶ「あるべき姿」を必要以上に重視してしまうことによる判断のバイアスのことを指します。株式市場は投資家の「代表性バイアス」のかかった判断に満ちた世界です。ケースを議論しましょう。

※10Kahneman(2003)
※11 Kahneman and Riepe(1998)のQuestion 4を翻案。
※12 Kahneman(2003)
※13 Tversky and Kahneman(1971)
※14 コインを6回投げたとき、「表が6回連続」で出る確率は1/64=1.6%であるのに対し、「表が3回、裏が3回」出る確率は6C3/26=31.3%であり、前者と後者とを比べると、後者の方が生じやすい事象であることは間違いない。しかしこの「一抹の真実(a kernel of truth)」は、「7回目こそは裏がくる」や「7回目も表に違いない」ことの根拠にはならない。つまり代表性バイアスに晒されている人は、データの中に含まれる「一抹の真実」を過大に評価し、それを判断の根拠としてしまっていると言える。こうした判断のバイアスは普遍的にみられるものであり、金融市場の大きなボラティリティや、人の属性についてのステレオタイプ的な判断など多くの事象の背景と見ることができる(Gennaioli and Shleifer 2018, Bordalo et al. 2016)。
※15 Tversky and Kahneman(1974)

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