成功と失敗を分けるものとしてのメディアと宣伝
佐藤がもたらしてくれた知見から、ブルーインパルス飛行の「成功・失敗」はメディアによって後に創られる可能性を考えてみたい。今回の東京での航空ショーで感動した人の数など数えられないし、人口比にしたらどのような規模なのかも不可知だ。そもそも肉眼でブルーインパルスを捉えた人はかぎられる。SNSを含めたメディアが撮影した映像や写真で知ったのではないだろうか。
これに意味づけをし、これから価値を高めようとしていくのは、政府やメディアだろう。つまり、これから「感動」が創造されていくのだ。ゆえに今後もブルーインパルスは、物理的にも情報としても飛び続けるだろう。
ここまで、単純化していえば「歴史から学ぼう」としてきたわけだが、このような勉強なぞ横に置いても、自分の感覚の責任くらい自分で取りたいと思うのは私だけだろうか。これは「感動するのは人それぞれ」の一歩先にある感性だ。有名な詩の一部を引用したい。
自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ
茨木のり子「自分の感受性くらい」より(最終三行)
空の美しさに魅了され、苦労や苦難を忘れ去る。これ自体、そして日々奮闘する医療従事者への感謝も否定しない。本稿のポイントはそこにはない。伝えたかったことは、次のことだ。自由のイメージで語られ続ける空さえも誰かの持ち物であり、加工されうる点を忘れないように。そして自分の感情については、「わずかに光る尊厳」を放棄せずに、保ち続けるように。