一瞬の感動が過ぎ去り、過去が参照されない

スペクタクルのもたらす感動は、まさに情報が流れゆくSNS文化に近い。一瞬の感動が過ぎ去り、すぐさま忘却され、過去が参照されないという状況を生み出す。

航空自衛隊の広報について描いた有川浩の『空飛ぶ広報室』(幻冬舎、2012年)という小説がある。この作品のドラマ版(2013年、TBS)で、航空自衛隊広報官の主人公が、歴史的なイギリス軍機スピットファイアーについて嬉々として語るシーンがある。他方で彼は、東日本大震災の被害については「忘れちゃいけないんです。ぼくたちは決して」と力強く語る。

自衛隊が「忘れてはいけない」のは震災・戦災の両方だろう。むしろ、艦載機に追い回され、身内や友人を殺された世代が減少するなかで、「あえて」でも想起してほしいのは航空機の攻撃性だ。なぜなら、今もなお地球上では航空兵器が人を殺しているのだから。

ナチの宣伝もまた「神話化」されている

ここで、ナチ・ドイツのプロパガンダから、今回のブルーインパルスの飛行を考えてみよう。先に紹介した私のツイートでは、ナチ・ドイツのシュペーアの「光のドーム」に言及した。これはヴィリリオ『戦争と映画』で、スペクタクル性から視点を一点に集めることによる感情動員の事例として登場する。

しかし、「ナチ・プロパガンダ」はその実際の動員に果たした効果は疑わしい。メディア史の専門家・佐藤卓己が『増補版 大衆宣伝の神話』(ちくま学芸文庫、2014年)で述べるように、ナチの宣伝もまた「神話化」され、誇張されている。

今や、ナチ宣伝が大衆に与えた影響は、研究者によって慎重に扱われる研究対象だ。ナチ宣伝を踏襲し「成功」したと考える向きが強いことへの批判もある。ナチ科学が先進的で優れていたというのも「ナチ・プロパガンダ」自体を疑わずに再利用した語りにすぎない。