驚異と脅威との混合物
もちろん、航空機が惹起する感情は「空への憧れ」だけではない。飛行機は恐怖も運ぶ。1944年から45年、日本の空を覆ったのはアメリカの爆撃機であり、同時に艦載機による民間人への銃撃も苛烈を極めた。しかしスペクタクル性を考えるうえで興味深いのは、空襲下の日本で作家・知識人が「B29は美しい」と日記を書き残していることだ。作家・高見順は、1945年4月7日の日記に、こう記した。
敵機大編隊来襲、翼をキラキラと光らせて頭上を行く。「堂々たる」編隊で、まるで自国の空を行くような跳梁ぶりだ。(中略)「敵ながら、きれいね」と妻が言った。
出典:高見順『敗戦日記』(中公文庫、2005年再版)。参考:菅原克也「脅威と驚異としてのアメリカ 日本の知識人・文学者の戦中日記から」東京大学大学院総合文化研究科附属アメリカ太平洋地域研究センター『アメリカ太平洋研究』8号(2008年)13-14頁。
「飛行機のもたらすスペクタクル性」は驚異と脅威との混合物として現れた。これは比較文化学者・菅原克也が「脅威と驚異としてのアメリカ 日本の知識人・文学者の戦中日記から」で指摘している。また、知識人のみならず、戦後の空襲体験証言集においても「B29の美しさ・壮観さ」という文言がしばしば登場する。
アメリカ研究で知られる生井英考の著書『空の帝国 アメリカの20世紀』(講談社)によれば、これはむしろアメリカ側も意図していた「爆撃のスペクタクル」だったのである。ちなみに、日本の「空の帝国」の欲望については、和田博文『飛行の夢 1783-1945 熱気球から原爆投下まで』(藤原書店、2005年)、航空イベントについては橋爪紳也『飛行機と想像力』(青土社、2004年)に詳しい。
映画と結びつきやすい空のスペクタクル性
フランスの思想家ポール・ヴィリリオの『戦争と映画』(平凡社ライブラリー)は、飛行機の発明以降の知覚変容について述べている。空のスペクタクル性は映画と結びつきやすく、二者は歩を一にしてきたとヴィリリオは語る。たとえば、1929年、第1回アカデミー賞の最優秀作品賞は空戦をテーマにした『つばさ』である点も見逃せないだろう。
もちろん、日本においても数々の空をテーマにした映画が作られており、とくにアニメーションで「広く美しい空」が描けることから、映画『天気の子』の例を出すまでもなく、空が扱われている。とにかく空は気持ちがよく、遠くまで見通せる。映像はそれを表現することで、私たちの心を奪うのだ。
ブルーインパルスの「航空ショー」とは広く美しい空との一体が不可欠であり、先に指摘したように東京上空ではそれは限定的だった。