歴史上の人物の評価は、時代や研究の進展によって変わる。静岡大学名誉教授・小和田哲男さん監修の『日本史 格下げ偉人と格上げ偉人』(宝島社)より、評価が格上げされた戦国時代の偉人を紹介する――。
あれもこれも信長の前にやっていた
ときに戦国時代後期、荒れる畿内を平定、室町幕府の将軍を京都から追い出して実権を奪い、堺の商人を保護、西洋諸国との貿易を盛んに進め、キリスト教の布教も容認、鉄砲などの最新技術を導入……と、ここまで読んで「はああ、織田信長の話だろ」と思った人は多いだろう。これらは全部、三好長慶がやったことだ。
1522年、長慶は、室町幕府管領の細川晴元に仕える三好元長の子として生まれた。このころ室町幕府は、将軍家に成り代わって細川氏が実質的に政権を掌握してる状態だった。父の元長は主君の晴元と衝突したのち、1532年、一向一揆に攻められて堺の顕本寺で自害し、長慶はわずか11歳で家督を継ぐ。このとき晴元もまだ10代だ。以降の長慶は表向き晴元に臣従しつつ、「そのうち下剋上したるで」と力を蓄える。
下剋上に成功して「三好政権」を築く
もともと三好氏は、細川氏の守護代だった。この点も尾張(現在の愛知県西部)を治める斯波氏の守護代だった織田氏に属した信長と同じ図式だ。信長に限らず、室町時代は守護大名がみずから直に領地を治めず、現地にいる守護代が下剋上を起こすパターンが多かった。
1549年、28歳となっていた長慶は、同族内で対立していた三好政長と晴元の軍を摂津(現在の大阪府北西部と兵庫県南東部)江口の戦いで破る。以降の十数年間は、長慶をトップとする三好氏が幕府に代わって実質的に畿内を支配したので「三好政権」と呼ばれる。

