信長が今川を破る一方、中枢8国を支配

事実上の三好政権が成立して以降も、晴元と将軍の足利義輝は逆襲をはかったが、長慶はこれを退け、義輝らの幕府要人を近江(現在の滋賀県)へと追いやる。のち長慶と義輝は潜在的対立を抱えつつも和睦し、義輝は長慶の懐柔をはかった。これも何やら、のちの信長と足利義昭が互いを利用しようとしていた関係にちょっと似ている。

ついでにいえば、のちに信長に仕える松永久秀も三好氏に仕えていた。とかく裏切りをくり返したイメージの強い久秀だが、長慶の死後も律義に後継者の義継を補佐している。

信長がやっと桶狭間の戦いに勝利した1560年の段階で、長慶は、摂津、山城、丹波、和泉、阿波、淡路、讃岐、播磨の8国を支配下に置いていた。おおむね現在の大阪府、京都府、兵庫県、奈良県、香川県、徳島県の範囲にあたる。