信長は「所領ガチャ」の勝者だった

ところがだ。国力の差に注目すると、じつは両者にそれほど極端な差はなかったという見方がある。

小和田哲男(監修)『日本史 格下げ偉人と格上げ偉人』(宝島社)
小和田哲男(監修)『日本史 格下げ偉人と格上げ偉人』(宝島社)

戦国時代の各地の国力を測るのは、石高(米の生産量)だ。豊臣秀吉による天下統一まで全国的なデータはないが、1598年の太閤検地の数値を参考にすると、濃尾平野の穀倉地帯を有する尾張は1国で約57万石。対して駿河は約15万石、遠江は約25万5000石、三河は約29万石なので、3国合わせて約69万5000石だ。

当時の多くの国は10〜20万石で、人口の多い大和(現在の奈良県)、面積が広い陸奥(現在の青森県、岩手県、宮城県)などを除けば、50万石以上の国はわずかしかない。

しかも信長は、桶狭間での勝利後、早い段階で約54万石の美濃(現在の岐阜県南部)も手中に収めた。農業生産力が高ければ当然ながら金もある。金があればそれだけ多くの兵員を雇い入れたり、大量の武器を購入できる。

織田信長像
織田信長像(画像=東京大学史料編纂所/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons

もちろん信長自身の力量も大きかったろうが、戦う前から「所領ガチャ」でレアな当たりを引いていたといえる。

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