岡藤は、どこからか都内の女子大学内に自動販売機を設置し、中身の入れ替えなども行う仕事を見つけてきた。ただ、現場に行かずに、アルバイトとして雇っていた女子学生を使いお金を回収していて、当時の学生からは考えられない額のお金を稼いでいた。
夏休みごとに大阪の実家に帰省し、家庭教師のアルバイトに精を出した岡藤。毎日効率よく数軒回り、稼いだお金を学費と生活費に充てる。高校3年のとき、父を亡くし、母と弟となった岡藤にとって、自活は当然だった。
岡藤の人生の分岐点に立ち会ったのも宮本である。就職活動がチラチラ頭をかすめ始める大学3年の頃、クラスメートの父親の縁で、岡藤と宮本は当時、東京・日本橋に本社を構えていた商社「日商岩井」(現双日)の人事部を訪ねることになる。財閥系商社に対抗しようと意気込む日商岩井にとって、東大生は喉から手が出るほど欲しい。
昼食が終わりかけた頃、人事担当者がおもむろに声をかけた。「ところで、どうや宮本君」。もちろん就職の誘いである。宮本は間髪いれず、「はい。お願いします」と頭を下げた。人事担当者の視線は岡藤に向かった。だが、岡藤は即答せずに、その場をかわす。岡藤が宮本同様頭を下げていれば、「伊藤忠の岡藤」は存在しない。その後、岡藤と宮本は同じ商社業界に身を置きながら、旧交を温めていない。
後年、岡藤が社長になったお祝いをしようと同級生の数名が祝賀会を催したことがあった。友人付き合いをしていなかった岡藤は困ったのだろう。卒業後、連絡を取っていなかった宮本にこんな頼みごとをする。「知らん奴ばっかりだから、来てくれへんか」。
岡藤を祝賀会に招いた中に東大卒業後、三菱商事に入社した田名眞一(現三菱アルミニウム常務取締役)がいた。
祝賀会では、主賓の岡藤自ら、酒を注ぎながら笑いを誘う。帰り際、一人一人のコートを手に取り、「どこのコートや」といってブランドをチェックする岡藤。この姿に田名は感心していた。大学時は岡藤とそれほど親しくなかったが、卒業時の小冊子に岡藤が書いた一文が田名には、忘れられない。
「伊藤忠入社 三菱商事、三井物産殲滅」