飯塚祐司(アイスホッケー女子日本代表監督)

いいづか・ゆうじ
1974年、北海道釧路市生まれ。小学校3年生でアイスホッケーを始める。北海道釧路工業高校卒。1993〜2001年、王子製紙アイスホッケー部にフォワードとして所属。現役引退後、王子製紙に勤めながら北海道栄高や苫小牧東高でコーチを務める(女子代表主将・大沢ちほは苫小牧東高時代の教え子)。2008年より女子日本代表監督。2011年までU-18代表監督を兼務。

アイスホッケー女子日本代表を率いて、ちょっとした時の人である。38歳、飯塚祐司監督は漏らす。

「最近、メディアの数にはびっくりです。カメラの数も。(メディアで)取り上げてもらうのはうれしいですよ、これまでマイナー扱いだったので」

先のソチ五輪最終予選(スロバキア)で五輪出場を決めた。日本としては、開催国枠で出場した1998年長野五輪以来の五輪キップ獲得となった。取り巻く状況が一変する。3月28日の愛称発表の会見にも、メディアがどっと押しかけた。

愛称が「SMILE JAPAN(スマイルジャパン」に決定した。壇上で笑顔がはじける選手たちと違い、飯塚監督の笑いは少しぎこちなかった。

「ぼくはふだん、あまり笑わない方なので。硬い表情をしていますから」

きっと頑固で照れ屋。アイスホッケーに対する情熱はだれにも負けない。五輪最終予選の直前合宿(チェコ)での練習試合前のミーティング、「失点をおそれなくていい、笑顔でプレーしよう」と選手に声をかけた。

五輪最終予選の初戦のノルウェー戦ではいきなり3点のビハインドを背負う。1点を返した後の第2ピリオド後のロッカー室、選手たちの表情は明るかった。

「その時、笑顔を絶やさないチームだなと思いました。4年前のバンクーバー五輪予選の時より、チームの雰囲気が明るくて、リードされていても笑顔を失わないのです」

結果、その試合は4-3で逆転勝ちした。五輪キップ獲得につながった。

北海道出身。北海道釧路工業高校から王子製紙に進み、アイスホッケーのDF選手としてプレーした。引退後に指導者となり、2008年に男子U20(20歳以下)日本代表コーチを務め、その後に女子U18(18歳以下)日本代表、女子日本代表の監督に就任した。

理論派で通る。指導理念が、「選手にいい習慣をつけさせること」という。