丹羽政彦(明治大学ラグビー部監督)
東京・八幡山の明治大学グラウンドでは、ラグビー部員が駆けまわっていた。互いの掛け声が飛び交う。じっと見守っていた丹羽政彦監督が両手をたたき、部員に声を短く飛ばした。「いいぞ。ナイス・コールだ!」
ことし、吉田義人前監督に代わり、その同期の丹羽監督がバトンを受けた。ふたりが4年生の時の1990(平成2)年度、全国大学選手権で優勝した。ポジションが前監督と同じくウイング。ただ性格はちがうようだ。
「どちらかといえば、僕はおおらかな性格だと思いますよ。メイジらしさは、おおらかさと豪快さ、明るさです。僕ががーっと怒っても、グラウンドの雰囲気が変わるわけではありませんから」
あくまで自然体。練習の進行はほとんど小村淳ヘッドコーチに任せ、44歳の丹羽監督は腕を組んでじっと部員の動きを追いかけている。「みんなをしっかり見ています」と静かに笑うのだった。
北海道出身。農家の長男として生まれた。羽幌(はぼろ)高2年のとき、故・北島忠治元明大監督から勧誘の声をかけてもらい、人生が変わった。明大に進み、卒業後は清水建設に入社。現役を終えた後は、ラグビー部のセレクター(高校選手勧誘担当)として全国を回り、高校の監督と信頼のパイプを築いてきた。
前へ。逃げるな。その“北島イズム"が骨の髄までしみ込んでいる。
「北島さんから教えてもらったことは、基本的なことなんです。例えば、“ラインの手前でスピードを落とさず、ラインを全力で切って、さらに前へ行け"とか」
モットーが『一生懸命』『愚直』。基本プレーにこだわり、私生活のディシプリン(規律)も大事にする。清水建設から出向。自宅が札幌にあることもあって、ラグビー部の合宿所に住み込んでいる。
「学生には、朝ちゃんと起きる、朝食をしっかりとる、そうじをする、そんな日々全般のことをうるさく言っています。これまで自分を律する部分があいまいになっていました。学生は当然、(勉強だけでなく)アスリートとして生活をラグビーにも費やしていくスタンスを持ってもらうのです」
明大は昨季、関東大学対抗戦で14季ぶりの優勝を果たしたが、大学選手権ではベスト4に進むことができなかった。目標は16季ぶりの大学王座奪回。キーワードが「個々のレベルアップ」という。
「個々が、ラグビーの技術もさることながら、選手として、しっかりラグビーに向き合ってほしい。私生活を含めて、自覚をちゃんと持って、ラグビーに取り組んでいこうと選手に伝えています」