スズキ会長兼社長 
鈴木 修 

1930年、岐阜県生まれ。中央大学法学部卒業後、銀行勤務を経て、58年、鈴木自動車工業(現スズキ)入社。78年社長就任。2000年から会長に就任。(AFLO=写真)

「私の年齢は7掛け。80歳ではなく、もうすぐ56歳になるのです」

2010年1月に外国人特派員協会で、同年1月30日に80歳となる自身の年齢に関しての発言だ。

「70歳が古稀というのは、織田信長の時代の話。今の古稀は100歳」「最低でもあと20年はやる」とも。

同協会からは07年12月にも呼ばれた。記者から「10年後、スズキは再編されているのでは」の質問に答えたのが次だ。

「10年先、スズキは大丈夫です。なぜなら私が生きているから」

社長に就任したのは1978年、48歳のときだった。経営危機に直面していたスズキを立て直し、90年には1兆円企業に育て、自身も還暦を迎える。当時の経団連機械クラブで、ベテラン記者から「任期について、どう認識されているのか」と問われると、「人の気と書く人気は大切です。なくなれば車は売れなくなる」と、すかさず煙に巻いた。10年後、本来の古希となり、社長交代会見に挑んで次のように発言する。

「このたび、会長に昇格した鈴木です」

さらに、07年正月の会見では、「ボケない限りは続けますので、どうか皆様、もうしばらくお付き合いを」と茶めっけたっぷりに話した。いつも、鈴木修の会見では、たった30分たらずで3回は笑いの渦が発生する。

もっとも、内角に厳しく投げ込む発言もある。社長に就任して間もない頃、春闘で対立があった。このとき、団交で言い放つ。

「だいたいおまえたちは、トヨタや日産には入れなかったから、ここ(スズキ)にいるんだろう。落ちた奴らが、(トヨタなどと)同じ条件を要求しても無理だ」

この一言で、決着させてしまったのだそうだ。