母親の物忘れが加速
増田さんの兄の死と被るように、母親の物忘れが加速していった。
2012年の冬、増田さんが娘たちを連れて実家に行き、食事の支度をしていると、71歳母親は、「女の子はお手伝いをしてくれるから助かるね」と数分おきに同じことを言い、娘たちの名前を何度も聞き直した。また、親戚の子の進学や結婚のお祝いについても、「私って渡したかね?」と何度も確認してきた。
「翌年72歳になると、車で出かけた帰りに駐車場で自分の車の場所がわからなくなった話や、長年懇意にしていた車屋さんに車検のお金を払いに行こうとして道がわからなくなって途中で引き返してきたという話をされました。さすがに心配になったので、その年の3月頃、脳神経内科に連れて行くと、MRIで脳動脈瘤が発見されるというオマケつきで、鬱と診断されました」
脳動脈瘤は5mm以上で手術の対象になるらしく、増田さんの母親の脳動脈瘤は2014年3月に7mmになったため、「破裂するとくも膜下出血となり、障害が残ったり、最悪の場合死亡したりする危険がある」との説明があり、手術を受けた。
ところが術後、母親がおかしい。今が昼なのか夜なのかもわからない様子で、失禁してベッドが濡れていても気が付かず、亡くなった兄のことを「どうして面会にこないの?」とたずねた。
不安になった増田さんが主治医に相談すると、「高齢者が入院すると、一時的に認知症のようになるのは良くあることです。だんだんと元に戻りますよ」と言われる。増田さんは半信半疑だったが、幸い、母親は時間とともに回復していった。
2週間ほどで退院すると、増田さんは1人暮らしの母親のことを心配し、週に1〜2日は実家に顔を出すようになった。
脳神経内科に勧められ、念のため、要介護認定を受けると、「要支援1」と認定。
その後、しばらくは増田さんが週1〜2回顔を出してサポートすれば母親は自活でき、介護サービスを受けなかった。だが、76歳頃になると、だんだんできないことが増えていった。
最初のトラブルは、「ご飯を炊いて」と母親に頼まれた増田さんが炊飯器のタイマーをセットしたが、母親がコンセントを抜いてしまったためにご飯が炊きあがらず、水浸しの米が腐ってしまっていたこと。蓋を開けた瞬間、腐臭とドロドロの見た目に驚愕。それ以降、増田さんは、炊き上げたご飯をタッパーに詰めるところまでやってから帰るようにした。
77歳になり、担当のケアマネジャーの勧めで専門医に診てもらったところ、母親は「前頭側頭葉変性症」と診断される。これは、脳の前頭葉や側頭葉の神経細胞が変性・脱落することで、人格変化や行動障害、言語障害などの症状が現れる神経変性疾患で、アルツハイマー型認知症、脳血管性認知症、レビー小体型認知症と並ぶ4大認知症のひとつとされている。これをきっかけに母親は、約5年ぶりに要介護認定を受けることとなった。
「洗濯機も、ボタン一つ押せば勝手に脱水までできるはずですが、いろんなボタンを押してしまって途中で止まっていることが度々ありました。石油ファンヒーターもONを押して作動するまで少し待たなくちゃいけないのに、『動かない』と言っていろんなボタンを押してエラーにしておいて、『ストーブが壊れた』と言う電話が何度もかかってきました。最終的には、危ないのでヒーターはやめてエアコンを使ってもらいましたが、母は20リットル入る容器3つ分も灯油を買ってしまいましたし、給湯器の操作もできなくなり、お風呂も入らなくなってしまいました」(以下、後編へ続く)