現在50代女性は幼い頃に父親が病死し、3歳年上の姉とともに母親に育てられた。姉妹は大卒後、それぞれ広告代理店と銀行に勤め、家庭を持って育児をした。30年後、80代後半となった母親の体に異変が起こると、姉妹の間に関係修復が不可能な深い亀裂が入る――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹がいるいないにかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

姉妹を女手ひとつで育てた母親

東海地方在住の筑紫拓子さん(仮名・50代)には、父親の記憶はない。

母親は地方公務員をしていた23歳の時に、赴任してきた5歳年上の父親と出会い、恋愛結婚。その後、26歳の時に筑紫さんの姉を、29歳の時に筑紫さんを出産した。

ところが当時34歳の父親は仕事を休めず、風邪をこじらせて肺炎を起こし、筑紫さんが生まれた2カ月後に亡くなってしまった。

「のちに母は、『過労死だ』と言っていました。父は優しく穏やかな性格だったと聞いています。母は、公務員として働きながら、父の死亡保険金で自宅敷地内にアパートを建てて家賃の副収入を得ながら、私たちを何不自由なく育ててくれました。私はそんな母を心から尊敬しています」

子どもの頃、母親は職場の人たちと一緒に旅行に連れて行ってくれたそうだ。車で2時間ほどにある母方の実家に帰省するのも子どもの頃の楽しみの一つだった。

手をつないで歩く姉妹
写真=iStock.com/AlexLinch
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やがて筑紫さんも姉も大学を出ると、姉は広告代理店、筑紫さんは金融系の会社に就職。2人とも実家から通勤した。

筑紫さんは26歳の時、職場の同僚の結婚式で、1歳年上の男性と出会って交際に発展。男性は父親が経営する建築系の会社に勤めていた。約1年後に結婚すると、筑紫さんは実家を出て、高速道路を使って1時間ほどの距離の隣の県で新婚生活を始め、子どもにも恵まれた。

その3年後、姉も結婚したが、義兄の両親はすでに他界していたため、いわゆる“マスオさん”として筑紫さんの実家で母親と同居する

ことに。1年半後、第1子が生まれたのを機に姉夫婦は実家を増築した。家賃はなかったので、費用も捻出しやすかったのだろう。姉は育児でも母親にかなり助けてもらっていたようだ。