ある家庭では、ひきこもりの子どもを「いない存在」として扱う。ある家庭では、夫の暴力支配が近所に知られないように、家族全員がひた隠しにする。限られた人間しか出入りしない「家庭」という密室では、しばしばタブーが生まれ、誰にも触れられないまま長い年月が過ぎるケースも少なくない。
そんな「家庭のタブー」はなぜ生じるのか。どんな家庭にタブーができるのか。具体的事例からその成り立ちを探り、発生を防ぐ方法や生じたタブーを破る術を模索したい。
今回は、宗教を信仰する家庭で母親から宗教を強制され、過干渉を受けながら成長し、授かり婚をした相手がモラハラ夫だったという現在30代の女性の家庭のタブーを取り上げる。
宗教のために生きている母親
関西地方在住の如月杏さん(仮名・30代)は、祖父の代から続く建築系の工場を継いだ父親と、公務員の母親のもとに、第2子として生まれた。父親は30歳手前、母親は20代半ばのときにお見合い後、すぐに婚姻。
「結婚後、公務員の仕事を辞めた母は、父の工場で事務の仕事やお茶出しなどを手伝っていたらしく、よく『私は仕事があるから、あなたのことは何もできない』と言われて育ちました。しかし、祖母に聞いた話では、母はほとんど仕事をせず、宗教関連の新聞や本を読んだり、仏壇に向かって拝んだり、仏壇のある部屋を掃除したり、昼寝をしたりしていたそうです」
父親の家は宗教を信仰していた。そのため母親は結婚前、自分の両親から結婚を反対されたという。それでも一緒になりたかった母親は、強硬な反対を振り切って入信し、結婚。その後、両親から絶縁を言い渡された。
母親は、誰よりも熱心に宗教活動に打ち込んだ。朝5時に起きて1時間ほど仏壇に向かって拝み、夜も1〜2時間ほど拝む。夕食の際にご飯を炊いたら、必ず最初に仏壇に供える。週に一度は座談会のような集会を自宅で開き、30人ほどが集まって、全員で仏壇に向かって拝み、ビデオを見るなどの活動を行っていた。
如月さんは、4歳上の兄とともに、幼い頃から母親から口うるさく「拝みなさい、拝みなさい、拝みなさい」と言われて育ち、嫌々従った。集会場に連れて行かれて長々と話を聞かされたたが、ほとんど聞いておらず、記憶に残らなかった。父親や同居していた父方の祖父母は、宗教を強制しなかった。
「父親と母親の仲はいいと思ったことはありませんが、離婚のような空気を感じることもなかったです。父は母の言いなりでした。母に逆らえず、お小遣いも月5000円しかもらっていなくて、何もできないように縛り付けられていました。父は祖父の工場を大きくしたそうですが、家の中では1人では何もできないような人でした。世間体を気にして別れないのか、政略結婚だからと諦めているような……そんな夫婦だったと思います」