突然襲ってくる病魔に本人や家族はどう対処すればいいのか。仕事熱心で家事育児にも協力的な50代夫は6年前にがんが発覚。手術・治療したものの4年後に転移。その後は、黒い影や青いあざが体中を蝕み、さまざまな投薬を試みるも医療用麻薬を投入する状況に。「5年生存率数%に僕は入るよ」と声をふりしぼった夫だが、ほぼ寝たきり状態。献身的に支える妻の心の内とは――。(前編/全2回)
この連載では、「シングル介護」の事例を紹介していく。「シングル介護」とは、主に未婚者や、配偶者と離婚や死別した人などが、兄弟姉妹の有無にかかわらず、介護を1人で担っているケースを指す。その当事者をめぐる状況は過酷だ。「一線を越えそうになる」という声もたびたび耳にしてきた。なぜそんな危機的状況が生まれるのか。私の取材事例を通じて、社会に警鐘を鳴らしていきたい。

再婚同士の2人

関東地方在住の笠間牧子さん(仮名・50代)は、高校を卒業してから化粧品メーカーでビューティーコンサルタントをしていたところ、19歳の時に工業系の企業に勤める同い年の男性と結婚。

2人の男の子に恵まれ、平穏に暮らしていたが、28歳の時に夫に不倫が発覚。相手は同じ会社の23歳の女性だった。笠間さんは夫と離婚し、10歳と8歳の息子を引き取ったが、慰謝料も養育費も貰わなかった。

同じ頃、4年前に友だちを介して出会ってから、友人関係を続けてきた6歳上の男性が、妻の借金が原因で離婚したという。偶然にも同じ時期に離婚したことで意気投合した2人は、再婚を前提に交際を始めることに。

男性は外資系の精密機械の会社で、マネジャーをしていた。男性と元妻の間に子どもはおらず、元妻は高額なカバンや服を買いあさり、銀行数社から借り入れをしていたことが判明。専業主婦なのに家事もせず夜中まで出歩き、男性が仕事から帰宅して、家にいないことがほとんどだったことから、離婚に踏み切ったのだという。

それから半年後、笠間さんが34歳の時に入籍すると、再婚相手の男性は、11歳と9歳の息子たちも快く養子として迎えてくれた。

入籍から4カ月後、ハワイで結婚式を挙げると、数週間後に妊娠がわかる。

その年の夏休み、笠間さんは元夫に、「息子たちをうちに遊びに来させてくれ」と言われ、息子たちを向かわせた。

ところが、帰宅するはずの日になっても一向に連絡がこない。おかしいと思った笠間さんが電話をすると、

「子どもたちは『帰りたくない』と言っているから、もう返さない」

と言われ、愕然。

手をつないでいる男の子と女の子のシルエット
写真=iStock.com/Nosyrevy
※写真はイメージです

急いで夫に事情を話し、車で10時間かけて一緒に元夫の家まで行ってもらうが、息子たちは元夫から何を吹き込まれたのか、「帰らない」という。

「『本人たちがそう言うのなら仕方がない』と、無理やり納得して、帰宅するしかありませんでした。しばらくして養子縁組の調停をして、子どもたちは元夫の籍に戻されました。そうでもしなければ、子どもたちは学校にも行けませんから……」

当時妊娠5カ月だった笠間さんは、お腹の子に悪影響が出そうなほど毎日泣いて過ごした。しかし1カ月ほど経った頃、ふとマタニティスイミングに興味を持ち、通い始めてみると、不思議と悲しみが癒えていった。

そして36歳で無事出産。男の子だった。

夫は家事も育児も完璧だった。

息子が幼稚園に通っていた頃、笠間さんが子宮筋腫で入院したが、夫は習い事の送迎やお弁当作り、ママ友との交流までこなし、笠間さんは感動。小学校に上がると、学校行事に積極的に参加し、目に入れても痛くないほど息子を溺愛。休みの日のたびに家族で出かける仲良し家族だった。