脳出血後、要介護5になり重篤な失語症も患っている87歳の母親。50代次女は、家族の協力を得て、母親を自宅に呼び寄せ、愛情を持って食事・入浴・排せつなどの全介助をしている。もともと母親と同居していた姉夫婦からは何の音沙汰もない。今、次女が強く後悔しているのは、以前、母親が発していたSOSに気づくことができなかったことだ――。(後編/全2回)
人差し指にパルスオキシメーターをつけた入院患者
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前編のあらすじ】東海地方在住の筑紫拓子さん(仮名・50代)の母親は女手ひとつで娘2人を育てた。筑紫さんは27歳で結婚すると、実家から1時間の場所で新婚生活をスタート。姉は33歳で結婚すると、筑紫さんの実家で母と夫と3人で暮らしを始めた。それから20数年後。筑紫さんは86歳の母親の異変に気づいたが、姉はスルー。母親は倒れ、CTの結果左脳に出血があり、「歩けるようになる見込みはない」との診断。姉は平日はデイサービスを利用し、土日は自宅で自分たちが介護すると言ったが、姉に不信感を持った筑紫さんは、「母を引き取って自分が在宅介護をしたい」と伝えた。姉妹は揉め、最終的には母親の意思に委ねることになったが――。

「うちに来ない? 私たちと暮らそう」

2023年3月7日。左脳の出血の後遺症が出た87歳の母親の意思を確認するために、筑紫拓子さん(仮名・50代)さんは仕事の休みの日に夫婦で面会に行くと、看護師に母親を談話室に連れてきてもらった。

車椅子の母親は筑紫さんと夫を見つけて「ああ」と小さい声を出した。

「お母さん、退院してからのことなんだけど、うちに来ない? 私たちと暮らそう」

筑紫さんがそう言うと、母親はすぐに深く頷いた。

「お母さん、ずっとだよ? ずっと私たちと暮らすんだよ? いい?」

この言葉には、もう自分が建てた家には戻れないという意味も含まれていたが、母親はもう一度しっかりと頷いた。

そしてテーブルの向かい側に座っていた夫に向かって「あう、あう……」と懸命に何かを言おうとした。おそらく「私が行ってもいいの?」と聞いているのだろう。

母親の言いたいことを察した夫が、

「お義母さん、僕たちと一緒に暮らしましょう」

と言うと、母親はほっとしたような表情を見せ、「うれしい」と言った。

「私たちが仕事の日は、施設にお世話になるけどいい?」

と聞くと、母親はまたゆっくりと頷いた。

「お母さん、ありがとう! 私もうれしいよ」

と筑紫さんが言うと母親は、「とにかく早く」とはっきりと言って泣き出した。痩せた母親の肩を抱き、筑紫さんも泣いた。言いよどむことなく、明確に「早く」と言った母親の表情には、目に見えない切迫感や何かから逃れたいといった感情があるようにも見受けられた。