父親が急逝

そんな頃、父親の体調が目に見えて悪くなっていることに気づく。

「当時15歳だった私は、なるべく母と関わらないようにしていました。母は父の不調を子どもたちには隠していたようです。父が入院する前、父が仕事を休むなんて今までありえないことだったので、子ども心にとても驚いたことは覚えています。『どこが悪いの?』と母に聞いたら、『わからないから検査をしている』と言われました」

検査入院をしていた父親は、転院した途端、突然亡くなったという。

「亡くなってから、母が親戚と話しているのを聞いて『悪性腫瘍』だったと知りましたが、ちょっと珍しい症状で、なかなか原因がわからなかったようです。最後に父と話したのは、亡くなる2日前でした。病室でワープロの取説を読みながら、『体が不自由になったら、事務職をするしかない』というようなことを言っていました。そこで初めて、大変なことが起きていることを知りました」

父親はまだ46歳だった。突然歩行困難に陥ったかと思ったら、半月もしないうちに亡くなってしまった。

「とにかく急な死別で、涙も出ませんでした。私は、母との間で交通整理をしてくれていた父がいなくなってしまったため、『早く家を出たい』という気持ちが強くなりました」

結婚後の母娘の距離

増田さんは高校生になると、ケーキ屋でアルバイトを始めた。そこで社員として働く3歳年上の男性と出会い、20歳で結婚。

結婚後は実家を出て、電車やバスを乗り継いで2時間近く離れた場所で新婚生活を始めた。

並べて置かれたモンブラン
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ケーキのスポンジ部分や焼き菓子の製造を担当していた夫は、結婚後、クローン病に罹り入院。退院後、自宅療養に入ると、工場の機械を製造する会社に転職した。

増田さんは、21歳で長女を、28歳で次女を出産。

夫は育児に協力的で、娘たちを連れて自分の実家で1泊してきたり、散歩に連れ出したりしてくれた。

「特に長女はすっかり“パパっ子”です。夫は叱ることがないので娘たちに嫌われることもなく、大きくなっても父娘関係は良好です」

増田さんと母親とは、娘たちが小さい頃は母親が時々遊びに来たり、お盆や年末年始には、増田さんが家族で実家を訪れ、1泊するなどの交流はあった。だが、増田さんは母親に気を許すことはなく、適切な距離を保つことを心がけていた。