仕事でぶち当たる制約は「ゲーム」のように楽しむ
――料理人は、原価や人員、オペレーションといったさまざまな制約の中で日々料理をつくっています。制約と聞くと煩わしい印象もありますが、むしろこういった制約があるからこそ仕事が楽しい、仕事を通じて成長できる、という側面もあるのでしょうか?
稲田:はい。スポーツなども同じですが、ある種のルールや縛りがあるからこそ楽しくなる側面は大いにあると思います。もし材料費にも仕込み時間にも一切の制約がない料理店があるとして、そこで輝ける人間は、時間とお金があればあるだけおいしいものをつくることができるひと握りの天才か、ありとあらゆる高級食材を仕入れて豪華に盛り付けて素人を煙に巻く詐欺師のような料理人のどちらかでしょう(笑)。原価や作業時間、ポピュラリティ(流行)といったさまざまな制約の中でパフォーマンスをし、そのスコアが利益という形で分かりやすく目に見える面白さは、ゲームの面白さに通ずるものがあると思います。
一方で、仕事においては自己表現をする楽しさもありますよね。おそらく僕は無意識のうちに、自己表現としての料理の楽しさと、ゲームとしての料理の楽しさを理解し、あらゆる仕事をどちらかに振り分けている気がします。その振り分けも曖昧なところがあって、僕が一番楽しさを感じるのは、ゲームとしてしっかりハイスコアを叩き出しつつ、その隙間に自己表現を挟み込んでいくような仕事かもしれません。
――なるほど。制約の中にも自己表現を挟み込み、稲田さんらしいクリエイティビティを発揮できたと感じる仕事に、例えばどのようなものがありますか?
稲田:エリックサウスが監修したセブン‐イレブンのビリヤニ(炊き込みご飯のようなインド料理)は、その典型例ではないかと思います。全国のコンビニで販売する商品なので当然さまざまな制約はあったのですが、その狭間に自分のやりたいことをねじ込んで、それをあらゆる箇所にトッピングしていくような感覚でつくりましたね。
――エリックサウスの味を自宅でも楽しめる画期的な商品でしたよね。一方で、制約が多い仕事ほど、その中で自己表現をする難しさを感じる人も多いと思います。そういった仕事ではどのようなスタンスでいることが必要でしょうか?
稲田:まず、ある種のずる賢さは必要かもしれませんね(笑)。それから、何をしたいかが明確であること。明確に表現したいものがあれば、ゲームのプランを組み立てている間にも、「あのパーツはここにはめられるかも」「このパーツがルールに抵触するなら別のパーツを持ってこよう」と考え続けることができるので。やりたいことを明確にするという意味では、自分の意識の中でのプライオリティは常に自己表現側にあるほうが、よい仕事ができるのかもしれません。