「やりたいこと」をやるために、つくり手視点とユーザー視点を行き来する
――お話を伺っていると「狡猾さ」「ずる賢さ」といった言葉を稲田さんが頻繁に使われている印象があります。さまざまな発信からうかがえる稲田さんの穏やかなイメージからすると、少し意外でもあったのですが、自分のどのような部分に「ずる賢さ」を感じますか?
稲田:先ほどお伝えした「好きなことを周囲に積極的にアピールする」という部分もそうですし、あとはさまざまな人の反応を想定して先手を打つ、という想像力でしょうか。例えば、SNSの発信。監修した商品が世に出るときのコメントを例にお伝えしましょう。監修商品は制約も多く、自分のやりたいことを100%叶えるのは難しいので、賛否両論の反応が出ることは織り込み済みです。だから、自分が悪者にならないような書き方をします。巧妙に。「マニアの人はこういうものを求めていたかもしれませんが今回は実現できませんでした。でも、流通のプロができる限り多くの人に受け入れられるような方法を教えてくださいました。自分はマニアの人に受け入れられるパターンと、できる限り多くの人に受け入れられるパターンを提示したまでです」みたいな。相手のことも一応立てているじゃないですか。そのうえで「自分は作ることしかできないから」と責任を回避している(笑)。
――(笑)。
稲田:あとはお店に置くメニューの文言。エリックサウスでスタッフから新しいメニューの提案を受けるときも、よく「こういうタイプの人のこういう反応は想定した?」とフィードバックしています。
――たしかに、エリックサウスのメニューはさまざまな層にはまるよう緻密に設計されている印象です。しかしものづくりにおいては、ターゲットを広げず、あえて狭い層にアピールしたほうがうまくいく、という考え方もありますよね。
稲田:僕の場合、ターゲットをあえて絞り過ぎず、さまざまな人物を合成した空想上の人格をペルソナにして「これはこんな人に食べてほしい料理だな」とメニュー構成を考えます。そのうえで、各料理の特徴をできる限りテキストで補完するようにしています。なぜなら、狭い層に向けた料理は、ほとんどの人にとってnot for meであるからです。それをあえて店のメニューに入れるなら、not for youであることと、その理由を説明しなくてはいけません。そうでなければ、あらゆるお客さんにお店の料理を楽しんでもらえないように思います。
具体的に言うと、グラブジャムンというクセの強いデザートは「ヨーグルトのほうが多少マシです」、好みの分かれるカレーは「一般的な日本人にはあまり好かれないタイプのカレーです」などとあえてネガティブに紹介してみたり。
――なるほど。テキストで補完して、どのような人に向けたメニューなのかを伝えているわけですね。
稲田:はい。飲食店にあるメニューの多くはおそらく、すべての料理をすべてのお客さんに売りたいという前提でつくられています。だからこそ、人を選ぶような料理をメニューに入れられずやりたいことを我慢せざるをえなかったり、逆にやりたいことをやり過ぎてつくり手の独りよがりになってしまったりすることが非常に多いなと。理想的なのは、さまざまなニーズが渋滞を起こさず、それぞれ適切な料理に導かれるよう交通整理されたメニューですよね。
その際に必要になるのがユーザー視点です。僕は料理人であると同時に飲食店に通うマニアでもあるので、つくり手の視点とユーザー視点を併せ持っているのが強みのひとつなのかなと思っています。
――ユーザー視点を持つために、自分がその仕事を「好き」であることも役立ちそうですね。
稲田:その通りだと思います。好きなことを仕事にしていると、息をするようにユーザー視点に立てますからね。僕の場合はマニア度がやや高いので、エスニック料理になじみのない方など、一般的なユーザーの視点を持とうとするときはリサーチが必要になるんですけどね(笑)。日頃からユーザー視点とつくり手の視点を行き来できることも、「好き」を仕事にする大きな強みだと思います。
取材・文:生湯葉シホ 写真:関口佳代 編集:はてな編集部 制作:マイナビ転職