連載 極地志願 第2回】人はなぜ自らの限界を試そうとするのか。フリーダイバーの廣瀬花子さんは、2017年に世界女子史上2人目となる深さ100メートルの潜水を成し遂げた。廣瀬さんが「体が落ちていくような感覚」だという水深100メートルの世界とは、一体どんなものだったのか――。(文・聞き手=ノンフィクション作家・稲泉連)(前編/全2回)
中米・バハマの「ディーンズ・ブルー・ホール」
中米・バハマの「ディーンズ・ブルー・ホール」(写真=Ton Engwirda/CC-BY-SA-3.0-NL/Wikimedia Commons

世界で最も深い「海の洞穴」

中米・バハマのロングアイランドにある「ディーンズ・ブルー・ホール」――。

フリーダイバーの廣瀬花子はその壮大な海の洞穴に来ると、いつも不思議な感覚が体の全身を走っていくように感じる、と言う。

入り江の背後が岩壁に囲まれた空間に、海風が吹き込んでくる。一部が外洋とつながっている切り立った岩の下には、あまりに深い藍色の海が口を開けている。絶え間なく吹き込んでくる風が滞留しているのか、岩壁の内側では空気の濃密な流れが渦を巻いているようだ。「ここは不思議でミステリアスで、神聖な場所。いろんな空気が流れているんだろうな、と思える場所」――そんな思いを彼女は抱くのだ。

ディーンズ・ブルー・ホールは、世界で最も深い「ブルーホール」として知られる場所だ。「ブルーホール」とは地面が海中に水没してできたもので、上空から見るとぽっかりと海面に円形の縦穴が空いているように見える。巨大な洞窟や鍾乳洞が海中に沈んで形成される自然の驚異とも言える地形である。

バハマのディーンズ・ブルー・ホールは直径約100メートル、穴の深さは約200メートル。その神秘的な美しさから、世界中のダイバーの憧れの場所として知られている。

そこでは毎年4月、世界ランキングの上位から選抜されたフリーダイビングのトップアスリートが集まる世界大会が開催されてきた。

世界一のフリーダイバー・廣瀬花子

息を止めて水中に潜り、可能な限りの深さを目指す――。フリーダイビングの潜水の競技には足にフィンを付けて潜行と浮上を行うコンスタントウェイト・ウィズフィン(CWT)、フィンを使用せずに海上から垂らされたガイドロープを手で引きながら潜るフリーイマージョン(FIM)、フィンを使用せずに行うコンスタントウェイト・ノーフィン(CNF)の3種類がある。

日本のトップフリーダイバーである廣瀬は、2016年のバーティカルブルーのCWTにおいて、1度目の潜水で97メートル、そして、2度目の潜水では99メートルという記録を出した。そして、翌年の2017年の大会ではこの自己ベストを更新する100メートル超えのダイブを目指し、一年間にわたってトレーニングを続けた。100メートルを超えるダイブは、当時の世界記録に当たる深さだった。

「2016年の大会のときは――」と彼女は振り返る。

「あと1メートルを躊躇する迷いがあって、どうしても自分で決められなかった。100メートルはそのときの私にとって、どうしてもベットできなかった数字だったんです」

フリーダイビングの潜水競技のルールでは、自身の潜る距離を事前に申告する。CWTではダイバーはフィンとウェイトを身に付け、海面からガイドロープに沿って一気に下降していく。そして、ターゲットとなる深度に到達した証となるタグを取った後、同じルートを通って浮上する。浮上の際に浮力補助具を使用することはできず、ロープをつかんでもいけない。100メートルのダイブともなれば、呼吸停止時間は3分以上にもなる。