心を平常な状態に保つことは「技術」

フリーダイビングはダイバーの身体能力はもちろんのこと、潜る際のメンタルの状態をいかに整えるかが重要な意味を持つ競技だ。

水中では身体をリラックスさせると、酸素消費量を抑えてより深く潜ることができる。一方で潜水中にストレスや不安を感じると心拍数が上がり、逆に酸素の消費量が増えてしまう。よって、ダイブの際に心を平常な状態に保つことは、ダイバーに求められる一つの「技術」ということになる。

2017年4月、大会のひと月ほど前にバハマに入国した廣瀬は、同じくバーティカルブルーに選抜された3人のメンバーとともに、ロングアイランドの友人に借りた一軒家をシェアして過ごした。

毎朝、田舎道を車で20分ほど移動してブルーホールに向かい、トレーニングを行う。そして、地元の野菜や鶏を調理し、ときには海で魚を突く。

潜り、食べ、眠る――。

仲間とともに送るそんな「シンプル」な生活は、大会の日に向けたメンタルを整えるために大切な時間となった。

「ダイブにはその日、その日の自分のあり方が確実に影響します。その意味でバーティカルブルーは、記録に挑戦する上ではとても良い環境だと言えると思いますね。一日の中で、自由にトレーニングに集中できる素朴な生活には、ほとんどストレスというものがありませんから。食べることで感じる幸福や自然への感謝。そうした感情を少しずつ感じていく時間も、『いいダイブ』を作り上げることにつながっているんです」

夕暮れ時のバハマのビーチ
写真=iStock.com/SHansche
※写真はイメージです

不安や緊張を感じているのも「今の自分」の姿

――では、そうして始まったバーティカルブルーの際、大会当日の廣瀬さんはどのように心の状態を整えていったのでしょうか。

「フリーダイビングでは、できるだけ静かな状態、例えば瞑想状態を作り上げて、自分の心拍をしっかりとコントロールして潜る必要があります。人によっては瞑想や呼吸法で心拍を落とすのですが、私の場合は『これをしてから潜る』というルーティンは特にありません。風の音や波の音、人の声を感じながら、その瞬間に集中するようにしています。

これまでたどり着いたことのない深さを目指すわけですから、緊張感はもちろん生じてきます。フリーダイビングでは不安や緊張は心拍数を上げてしまうので、できる限りリラックスした状態を保つことが大事であることは確かです。でも、そんなとき、『どうやってこの緊張を落ち着かせようか』とは考えないようにしていますね。

不安や緊張やプレッシャーを感じているのも『今の自分』の姿なので、『緊張しているな』『プレッシャーを感じているな』とその瞬間の感情をありのままに捉えるようにしているからです。あるがままの自分を受け入れる。緊張もプレッシャーも、これからのダイブに必要なものだと受け入れていく、という感覚を持つようにしています」