医学生は「今のうちにたくさんしくじるように」

失敗の体験無しで「成功方法」だけを知っている人は、例えばその方法が面倒くさいときなどにはサボってしまう。

例えば医療の世界では、当直で寝不足で疲れているときに、必要な検査を怠ってしまう。患者の容態が悪くなるのは、こうしたタイプの失敗だ。「それが成功へのパスウェイだと教わっていたけど、めんどくさくなって」と考えてしまうのだ。「それが成功へのパスウェイなのは、それをしないとこういう失敗が待っているから」というところまで、理解の深度が至っていないのである。

もちろん、何でもかんでも大失敗では困る。特に医学部では「失敗」は人の命がかかっているから、「気軽に失敗しなさい」とは言えない。そこは程度問題なのであるが、少なくとも医学生の間は直接患者ケアに関する意思決定はしない。あくまでもシミュレーション、追体験である。

だから、医学生には「たくさん失敗するよう」奨励している。「どうせ、君たちが失敗したって患者は死なない。今のうちにたくさんしくじるんだ。医者になったら、そう簡単にしくじることは許されなくなるのだから」と。

失敗と挑戦を繰り返して成功するイメージ
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なぜ「正確な診断」が大切か

失敗体験を重ねながらのほうが「どうすれば成功するのか」をより明確な解像度を持って理解できる。

Aという薬を選ぶ力だけでなく、なぜBやCやDを選ばないかを明確に説明できる人は、BやCやDがもたらしかねない「失敗」の可能性を説明できる人なのだ。

そのためにも「正確な診断」の習慣をとても大切にしている。発熱患者に適当に抗生物質を投与して、患者がなんとなく治ったのは「成功」と言えるだろうか。そうではない。そのような雑な方法ではいずれ「治せない」患者が出てくる。

日本の感染症診療のレベルは低いので(これでも数十年前よりはだいぶマシになったのだが)、「正確な診断無しでとりあえず薬を出す」という雑なプラクティスが横行している。よって、その医者は成功しているのか、失敗しているのかすら理解できていない。

失敗しても「患者が原因不明の急変に陥った」という言い訳で逃げてしまう。「正確な診断」にこだわっていれば、なにが失敗の原因だったかはっきり分かるはずなのだが。