当たるも八卦、当たらぬも八卦な医療
例えば、「血液培養」という検査がある。これは血液を採取し、その中にいる感染症の原因微生物を見つける検査である。海外では何十年も前から一般的に行われてきた検査だが、日本でこれが行われるようになったのは比較的最近のことである(私が研修を受けた沖縄の病院など、例外はあるが)。
私がアメリカで感染症の後期研修を終えようとしていた2002年頃、日本に帰国しようかどうか迷い、当時の大学病院をいくつか訪問、見学したことがある。巨大な大学病院で行われている血液培養の総量が、ホテルのミニバーみたいな小さな機器にしか入っていなくて絶句したことがある。
大学病院の医者は、発熱患者でも血液培養を取らず、「原因不明確なまま」治療をしていたのである。「感染症を診断せずに、原因微生物を検出せずに」、適当に抗生物質で治療し、当たるも八卦、当たらぬも八卦な医療をしていたのだ。
患者が治ればラッキー、治らなければ「謎の急変」である。そのため、いろんな菌を殺す広域抗菌薬が乱用されていた。広域抗菌薬は薬剤耐性菌を選択させるため、大学病院は薬剤耐性菌だらけ、さらに感染症治療を困難にしていた。
成功とは明確なアウトカムを得ること
私は、診断にあまりに軽薄な当時の大学病院に絶望し、日本に帰国するのは諦め、あれやこれやの事情からSARSが流行していた北京の診療所の医者になったのだった。その後、千葉県の亀田総合病院というしっかりした病院からお声がかからなければ、日本に帰国することなく、ずっと中国で診療所の医者をしていただろう。
真に「成功する」とは、「成功しているのか、失敗しているのかがはっきりしている」という条件下で成功することである。
成功とは明確なアウトカムを得ることであり、そのアウトカムを得ないということは失敗だと理解することである。失敗の定義がないままで感染対策をしたダイヤモンド・プリンセス号のアウトブレイクと同じである。