安定的な皇位継承のために必要なことは何か。皇室・王室ウオッチャーの中原鼎さんは「男系堅持か・女系容認かという議論に流れがちだが、それ以外にも議論をするべきことがある。皇室経済法の欠陥は今すぐ見直したほうがいい」という――。
18歳の成年の誕生日を迎え、天皇、皇后両陛下へあいさつに向かわれる秋篠宮家の長男悠仁さま=2024年9月6日、皇居・半蔵門
写真=時事通信フォト
18歳の成年の誕生日を迎え、天皇、皇后両陛下へあいさつに向かわれる秋篠宮家の長男悠仁さま=2024年9月6日、皇居・半蔵門

皇族数確保の切り札として脚光を浴びる「旧宮家」

GHQ占領下の昭和22(1947)年10月14日に民間人になった伏見宮系の元皇族ならびにその子孫――いわゆる「旧宮家」の方々――が、令和の御代を迎えてからというもの、一定の皇族数を確保するための切り札として脚光を浴びている。

旧宮家をめぐっては、現天皇家との共通男系祖先が室町時代の伏見宮貞成親王であることから、血縁が薄すぎて国民に受け入れられないのではないかと懸念する声もある。

だが、戦前の日本人はそんな伏見宮系の皇族方を、在位中の天皇とは男系のみでは遠縁であることを知りつつも、軽んじるどころか憧憬の対象としていたようだ。近代生まれの著名人らの回想によれば、特に女性たちの関心ぶりは凄まじいものだったらしい。

「僕らの少年の頃から、月給取りの妻君連中の話題と言えば、皇族の戸籍しらべで、なんの宮の子供が何人あって、それが何の宮のいとこにあたるとか、異常な興味をもっていて、その話に上越す話がないようであった」――金子光晴「天皇陛下」(『思想の科学』第46号、昭和41年)

もちろん当初のうちは違和感を覚える国民も少なくないはずだが、皇籍に入る方が皇族としてふさわしい品位を備えていさえすれば、きっと時の流れが解決してくれるであろう。

とはいえ、皇室制度の在り方が今のままならば、系譜をある程度遡らなければ歴代天皇に行き着かないという点は、とある別の理由から確かに「安定的な皇位継承」にとっての不安要素になりうるのではないだろうか。