王が皇位継承者になる事態を想定していない「欠陥法」

先の引用だけでも十分だとは思うが、金森大臣の答弁の続きも一応載せておこう。

「非常に遠い方につきましては、みづからその経済等を自主的にお考えになり得る場面も自然多くなつて来るものと考えられまするが故に、そういうことをも加味しつつ、若干経費の額に差等が起つてもしかるべきものと思う」

つまるところ、皇族の歳費に関する皇室経済法の規定は、親王がおらず王が現実的な皇位継承者になるという状況をまともに考慮していないのである。想定外の事態がまだ起きていないから問題になっていないだけの「欠陥法」だと評してもよいのではないだろうか。

思い返せば、譲位特例法が成立するまでの秋篠宮殿下は、新時代の皇嗣としてふさわしい歳費を受けられる保証がなかったが、それも同根の問題だ。次に示すのは、平成29(2017)年4月3日の参議院決算委員会で片山大介議員が述べた意見である。

「私は皇室経済法も変えていく必要があるというふうに思います。皇室経済法は、御存じのように、皇室典範と同じく戦後施行されたものだけれども、やはり今回のようなこと(※傍系皇族が皇嗣になること)は想定をしていなかったんだと思います」

今の秋篠宮殿下に「定額の3倍」の歳費が認められているのは、このように皇室経済法には欠陥があるということが国会の共通認識になったからこそだ。しかし、皇位継承順位が高い王の歳費に対して同じように問題意識を抱く政治家は、残念ながらまだ見当たらないのが現状である。

「親王宣下」の限定的復活を検討すべし

具体的にどうすればこれを改善できるだろうか。解決策として考えられるのは、明治22(1889)年の旧皇室典範により廃止された「親王宣下」の復活くらいしかなさそうだ。

親王宣下とは、王に対して親王号を与えることができるという、平安時代から明治時代にかけて存在した制度である。

歴史上最後の事例は、明治19(1886)年に明治天皇の猶子(※名義上の養子)として宣下を受けた東伏見宮依仁親王だ。皇室の伝統によれば、傍系皇族が親王宣下を受けるには、このようにまず天皇もしくは上皇の猶子となる必要があった。

明治維新前には世数にかかわらず親王になれる家柄として伏見宮家、桂宮家、有栖川宮家、閑院宮家の四つの宮家があったが、「世襲親王家」などと通称されるこれらの宮家とて、親王号の自動的な世襲を許されていたわけではなかったのである。

四親王家の王子で、宮家を御相続になる方は、必ず時の天皇の御猶子として親王宣下があります」――下橋敬長『維新前の宮廷生活』(三田史学会、大正11年)

このような歴史を踏まえたうえでの個人的な意見だが、皇族の養子縁組を本当に認めるのであれば、そのついでに親王宣下を目的とする天皇の猶子も許容したらよいだろう。